ひとりごとの記録

主に音楽、アイドル、菊池風磨くんのオタクのひとりごと。

#とは

なんとなく、私の価値観について書いてみようと思う。

 

 

人間って傲慢な生き物だなあと思う時がある。

 

例えば、駅前にいる野良猫に餌をあげている人を見た時。

毎日決まった時間に餌を持ってきて餌をやる人がいたり、しまいには簡単な古屋のようなものまで木陰に用意する人もいた。雨の日には傘もあった。

でも、その人達に”飼う”という選択肢は無いのだ。飼えないと言う方が正解かもしれない。

たしかに動物の命を守るという意味では正しい行為だろう。だけどそこに餌が貰えると思って住み着いた野良猫が通行人を怪我させてしまった時、その責任を取れる人はいない。

『飼えないけれど、ペットのように餌をあげて可愛がってあげたい』

なんだかそれって、責任が生まれないグレーゾーンな場所で”ペット飼う体験”をしているようなものだよなあと。べつに取り締まり警察をするつもりもないし、思うだけで素通りする私も含めてヒトって都合のいい生き物だなーと思いながら、毎朝駅前を歩いている。

 

例えば、エスカレーターを歩いて通行する人を見た時。

エスカレーターは危険なので歩かないでくださいとよく聞く。でも人間、急いでいてそうはいかない時だってある。朝の通勤ラッシュなんて特にそうだ。乗り換え時間との戦いで駅が殺伐としている。地方の人が「東京の人は歩くのが速い!」とビビるのもわからなくは無い。

そういう時、人はエスカレーターを歩く。

一応横に階段もある。でも人はエスカレーターを歩く。

『速く歩きたいけど、階段は辛いからできる限り自動で運んでくれる物に頼りたい』

という、人間の都合のいい甘えだなと、ニュースを見ながら思った。

でも東京の駅って尋常じゃない長さのエスカレーターが当たり前のようにあるよね。総武快速線をよく使うんだけど、馬喰町〜新橋は地下にホームがあるからものすごい長さのエスカレーターが2本くらいある。あの長さの階段登れはちょっと酷だよ。それも考えてほしいよね。

 

 

 毎年春になると思い出す言葉が2つある。

 

”元旦よりも桜が咲いたことがわかる時が、一年の周期を感じることができる”

”春特有の新しい生活が始まる雰囲気にあやかって自分も変われた気になれるから、春が好き”

 

四季をなにかの合図にして生活するスタイルは日本人特有の感性だね。そういえば、桜は入学式には間に合わず散ってしまうことがほとんどなのに、どうして出会いの季節の花と称されるのだろうと不思議に思ったことがあった。

 

 

”こんな人になりたい”がたくさんいるよりも、”こんな人には絶対になりたくない”がたくさんいる人生の方が、私は圧倒的近道だと思う。

 

”なりたい”はそれになるしか道がないけど、反対の”なりたくない”がちゃんとわかっていれば、例え”なりたい”になれなかったとしても”なりたくない”になることだけは避けられるから。正解になれなくても、間違いになってしまうことだけは避けられる。上手く伝わるかなあ。

バイトで嫌な客が来た時とか、理不尽な人に出会った時とか、電車やお店でマナーが悪い人を見た時とか。こんな人だけはなりたくないなと、反面教師にして肝に銘じるわけです。

 

なりたいは、一人いれば充分だよ。

その人が憧れも、尊敬も、すべて導いて正しい光になってくれる。

 

 

 

終わり。パソコンで書いたけど意外とタイピング出来て安心した。寝ます。