ひとりごとの記録

主に音楽、アイドル、菊池風磨くんのオタクのひとりごと。

川上洋平のすゝめ

[Alexandros]が紹介される時、大抵はこういう風に書かれます。

 

”悔しさをバネにして這い上がる力”

”絶対に世界一のバンドになるんだという強い意志”

 

とかまあ、着目されるのはこういったバンドのスタンスだったりします。そしてそこから紐付いて触れられるのが、ボーカル川上洋平が書く歌詞。でも結局はバンドのスタンスがわかるような”悔しさをバネに書かれた曲”が取り上げられることが多いです。StarrrrrrrとかKick&Spinとか。当たり前の方程式ではありますよね。むしろ紹介してくれてありがとうございますと言わなければいけない。

 

だけど[Alexandros]オタクである私は思うんです。

それだけじゃないぞと。

川上洋平、それだけじゃないぞと。

 

洋平さんが書く歌詞には、悔しさだけではない様々な表情を持っています。それが私が洋平さんが書く歌詞が好きな理由の一つでもあります。だからここで思う存分紹介してやろうと思いまして。

 

”悔しさだけではない様々な表情”というのは、簡単に言えば「悔しい!悔しい!」と気持ちを露わにした曲ではなくて、それとは真反対の位置にある”物語チック”な曲であるという事です。まるで小説の一ページのような世界観を持った曲たち、と言いますか。今回はこのいわゆる”物語チック”な曲たちを紹介します。

 

私調べだと、大体2016年頃からそういった曲が目立ってきた印象です。それまでも無いわけではありませんでしたが、あってもひっそりと端っこにいて目立たない感じがありました。

あくまでも私調べなのでそれがどうしてなのか理由はわかりませんが、おそらくこの頃からバンドの状況が安定してきたというのもあると思います。あとはタイアップが増えた。あとは何より、”[Alexandros]にらしさなどない”という音楽のジャンルを超越していくバンドの思いが伝わって、色んなジャンルの曲を作るようになったというのが大きいのではないかと思います。

この頃のドロスは至るところで「俺たちに”らしさ”や”ジャンル”などない。自分たちがやりたいことをやる」と言っていた記憶があります。なんならそれが『クソッタレな貴様らへ』という曲で歌詞になったくらいです。(改めて書いたらとんでもないタイトルだな)

 

で、話がそれてしまいましたが そんな”物語チック”な曲たちは、いかんせん歌詞の情景描写が綺麗です。そして曲に出てくる主人公は、ほとんどの確率で孤独です。そしてほとんどの確率でいなくなった相手を探しています。この3つが大きな軸になります。

私は以前、洋平さんが書く歌詞について”一人”と”独り”の2種類があると考察したことがあるのですが、それは”誰に何を言われても私は私なんだ”という芯を持った意味の”一人”と、儚く消えてしまいそうな弱さが見え隠れした”独り”の2種類で。曲によって出てくる孤独の種類が違うのが面白いなと思っていました。同時にどちらも持ち合わせているのが非常に人間らしいなと。

曲にあてはめていくと、前者の芯を持った一人が、「悔しい!悔しい!」と気持ちを露わにした、よく紹介される曲たち。後者の儚く消えてしまいそうな独りが、物語チックな曲たちです。

あとあと、歌詞に使われる言葉に注目してみると、高確率で『』と『』が出てくるのも特徴です。あとは雨も多いかなあ。こういう曲に限らず、ドロスの曲にはよく月という言葉が使われています。月色ホライズンを出した時のインタビューで話していましたが、どうやら月という言葉が好きらしいです。太陽よりも月の方が好き、とか言っていたかな。

 

なんてことも含めて、これからの曲紹介を読んでもらえたら楽しいかもしれません。

 

 

①ムーンソング

2016年発売のアルバム『EXIST!』に収録。アルバムの1曲目を飾る曲です。

初めてラジオでオンエアされた時、歌い出しにある『夜を纏いながら 引き裂きながら』という歌詞に一目惚れしたことを覚えています。早速さっき言った『夜』が登場してますね。おっと、なんなら曲名に月まで使われています!完璧ではありませんか。

長月の下冷えだして 互い以外何も触れなくて

湿気った花火 100円ライターに近づけ、火を付けた

この、主人公がいる景色を想像できる歌詞がいいんです。『長月』とか『湿気った花火』という名詞からも、季節や気温の感じを思い浮かべることができる。季節外れの花火をした時に聴きたくなりますよ。

歌詞から思うに、この曲は過去の青春時代を思い出している曲で。高校生の頃とか、ああいう戻れない一瞬に閉じ込められた輝きって、誰しもが記憶の片隅で持っているものじゃないですか。思い出すと思わず眩んでしまうくらい、青くて眩しかった頃。その、思い出した時に少し胸が痛む感じがちゃんと歌詞にされてる。

眩しかったあの時代を 昨夜不意に思い出した

胸の奥底痛むよ 断片的でしかないくせして

と、懐かしい記憶を思い出した後、

君がいなくなった世界で 僕はどれくらい残るの?

月の浮かんだ水面を叩く 波紋が不安を象る 

『いなくなった君』を主人公がどんな形で失ったのかはわからないけど、離れたりいなくなることでわかる孤独って絶対に存在します。この後にも同じような歌詞が繰り返されるのですが、『君がいなくなった世界で僕はどれくらい残るの?』なんて”君が僕のすべて”と言わんばかりの歌詞で、依存にも近い愛を表現しているのが私はたまらなく好きです。

光の無いこの世界で 僕はどれくらい見えるの?

”次”が浮かんだその場所へ ツキを頼らずに向かおう

君がいなくなった世界で 僕はどれくらい残るの?

君がいないならいないで 自ら月に成り上がろう 

すっごい一人ぼっちだよね。多分、主人公にとって君が光だった。だから君を月や月明かりに例えて、君という光が無いこの世界で僕はどれくらい残るのだろうと、独りであることを不安に思う。でもやがて主人公は、君の光を頼らずに向かおうと答えを出す。そして自らが月という名の光になろうと決心する。

天文学的には、月は自ら光を放つ存在ではなく太陽によって照らされているので、そういう意味ではどうにも辻褄が合わなくてしっくりこなかったんだけど、地球上では月明かりが明るいとかよく言うじゃないですか。だからそういう解釈をしました。

11月リリースで聴いた季節が秋というのもあって、秋になるとどうも聴きたくなります。ピアノで始まる切なげなイントロが、夏の残り香を漂わせながら空気が冷たくなる感じを連想させて、とっても良い。

久しぶりな友達と会った帰り道とか、懐かしさで身が擦り切れそうな時にいかがですか。きっとこの曲が全てを代弁してくれると思いますよ。 

ムーンソング

ムーンソング

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②Swan

笑った吐息を漏らす

消えかけの月の下

踊る街の肌の上

とにかく大好きな3フレーズです。何度も声に出して言いたくなるくらい言葉の響きが素敵で、この歌詞があってSwanという曲を好きになったと言っても過言では無いくらい、本当に大好きな歌詞。

この歌詞語らずして何語る?この歌詞なしではSwanは語れません。

というくらい好きなんですね。すみません。紹介もなしにいきなり歌詞引用で初めてしまいました。

2016年8月発売のシングル曲。これも2016年ですね。豊作かな?波瑠が主演のドラマ、『ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子』の主題歌でした。

思い返してみたら、言葉選びやそこから広がるイメージに対して、洋平さんが書く歌詞の特徴を深く考えるきっかけになったのはこの曲が最初だったかもしれません。

今まではなんとなくの雰囲気で聴き流してしまっていた言葉一つ一つを(ごめんなさい)、ちゃんと噛み砕いて聴いてみるようになった。

序盤で”こういった物語のような曲は2016年頃から目立ってきた”と書いたように、注目を浴びるシングル曲として売り出されたのはこれが初めてだったように思います。今まではアルバムの1曲としてあったり、カップリングだったりと、メインになることは少なかったような。そのおかげもあってか、洋平さんもこういうベクトルの歌詞を書くんだとちゃんと気づかせてくれた曲でした。

4年くらい前に、この曲の歌詞を本気で解釈したことがありました。どうしてどこにも書き残さなかったんだという感じですが、その時にこの曲に第二のタイトルをつけるとしたらそれは『狂気』だという結論に至りました。今改めて考え直しても、また同じ答えになると思います。

 

そう、この曲のテーマは、狂気です。

もっというと狂気じみた愛。

お互いの傷を埋めるだけの関係でいる二人の、悲しい愛の物語。 

官能的で、情緒的な曲です。

 

脳裏にガラスの破片を散らばせて

浅い痛みが夜削って

途端に赤色のセリフが飛び散って

深い傷が夜補って

傷が消えない・癒えない表現を『脳裏にガラスの破片を散らばせて』と例えて、そんな傷を埋める瞬間を『赤色のセリフが飛び散って』と例える。

赤と聞いて人がイメージするのは、情熱的・熱血というのもありますが、その反面魅惑な雰囲気のような色っぽさも持ち合わせています。シチュエーションによっては血の色を連想させて、危険というイメージにもなります。つまり『赤色のセリフ』というのは言葉の雰囲気を色で例えて、甘い言葉を『赤色のセリフ』と表現したのではないかと思います。

また痛みが夜を削る原因でありながら、その夜を補うのは深い傷。なんかおかしいですよね。

「傷を持ち合わせた者同士だからこそ、夜を共に過ごすことができる。結局は寂しさを埋めてくれるのも、傷を持っている相手だけ。傷を負った者の痛みは傷を持っている人にしかわからない。傷の痛みが自分を苦しめる存在でありながら、傷が二人を繋ぎ止める理由になってくれている。」

こういう事なんじゃないかなあと解釈しました。

笑った吐息を漏らす

消えかけの月の下

踊る街の肌の上

冒頭でいきなり紹介してしまったこの歌詞。好きな理由に深い意味はないと書くとなんかすごく嫌なのですが(笑)、メロディーありきで好きになった言葉というのが正直なところです。

そんな言葉の響きもそうだし、『笑った吐息を漏らす』『消えかけの月の下』『踊る街の肌の上』一文一文で区切った時の、言葉選びが本当に綺麗だと思いませんか。これが3行揃った時の破壊力と言ったら。

でもこのシーンって、『消えかけの月の”下”』『踊る街の肌の”上”』と、二人が一体どこにいるのかを具体的に書いていない。だけど二人を囲む周りの環境だけは書いていて、その表現がまた非現実的。

これは最後にちゃんと書くのですが洋平さんの歌詞には、さっき触れた『赤色のセリフ』のように状況や風景を完璧に説明するのではなく、例えたりポツリポツリと部分的に伝えることで、それ以上は聴き手の想像力に委ねるような表現が多いです。

例えば『消えかけの月の下』だって、朝消えかけの月を見つけたことがきっかけで私は朝だと解釈しましたが、人によっては”雲に隠れて消えかけた”と受け取って夜と解釈するかもしれない。『踊る街の肌の上』がすごく難しくて今でも自信がないけど、夜を眠る街と言うように、反対に朝が来て街が動き出すことを『踊る街』と例えたのかなと思っています。

お互いの傷を埋めるだけの関係だけど、そんな二人でも救われたくて、普通になりたいと願う時がある。終わりのない暗闇の中を二人で彷徨うような関係ではなくて、光の指す場所に行きたいと思う時がある。

明け透けな空描きたくて 青色絞って泣き出した

血眼になって描き切った

そんな思いがこの歌詞に表れているけど、やっぱりどこか上手くいかない。『青色絞って泣き出す』『血眼になって描き切る』って少し狂気を感じる。穏やかで落ち着いた雰囲気だった曲調も、ここから一気に激しくなります。ちょっと破壊的だけど、狂って壊しながら二人の関係に光が差し込み始める。

終わった途端にハッとなって うだった路面に倒れ込んだ

笑えなくなった顔を塗り潰した

ここら辺で目が覚めるんですかね。ここまで書いておいて説明が雑ですみません。ちょっと疲れました。上手くいかないなりにも、ここから二人の関係にグッと変化が訪れます。

愛を歌うそぶり魅せ合えたから

僕は踊りを止めて 溢れた言葉流した

もうさよなら」

『もうさよなら』という終わりにする言葉がちゃんと出てきます。あと曲中何度も『愛を歌うそぶり』という歌詞が出てきますが、おそらくそれが”お互いの傷を埋める”瞬間なのだと思います。

私は、傷を埋めるということは傷を持っているということを相手に話し、心を許した相手にのみその傷を見せる、という事だと思っています。『愛を歌うそぶり』=傷を埋める=傷を見せるという解釈

ただ救われたくて、愛されたくて、”傷を埋めるだけの関係、でも傷が二人を繋ぎ止める理由”なんていう救いのない悲しい時間を過ごしてきたけれど、本当は傷を見せ合うことが出来ただけで、もう救われていただけなのかもしれないと気付く。 だから踊りを止めて、さよならと言うことが出来たのではないでしょうか。

多分、どこまでも自由な解釈ができる曲だと思います。散りばめられた綺麗な言葉たちをどう解釈するかによって、曲中の二人が辿る結末も変わってくる。

そしてサラッとスルーしてしまいましたが、歌詞の中にしっかり『夜』と『月』も出てきました。他にも歌詞には『首都高』という単語が出てくるので、ぜひ夜の首都高でこれを聴きながら、歌詞が織りなす物語を味わって欲しいと思います。

Swan

Swan

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 ③LAST MINUTE

ついに登場しましたLAST MINUTE!はてブロに登場するのは初めてかもしれませんが、この曲の素晴らしさについて何度も考えてきたし、メモとかインスタとかとにかく色んなところでこの曲について書きすぎて、そろそろウザがられるんじゃないかと勝手に心配しています。

note.com

ほら、もう既にnoteで書いてるんですよね。上に貼ってあるリンクは、このはてなブログに引っ越してくる前にやっていた私のアカウントです。もう動かしていないアカウントですが、結構熱く語ってます。良ければ読んでやってください。なのでnoteで書き尽くしちゃった感があって正直どう紹介しよう…という感じではあります、が、まあ気にせずnoteを読まなくても伝わる程度に元気に紹介していこうと思います。

 

2018年発売のアルバム『Sleepless in Brooklyn』に収録。一つ目に紹介したムーンソング同様、こちらもアルバムの1曲目を飾る曲です。

この曲のイントロを聴いた時、「ドロス一皮剥けたな、次のフェーズに行ったな」という印象でした。アルバムの一曲目ってそのアルバムの印象にもなるので、すごく大事じゃないですか。ましてやイントロなんて特に。

そういう意味では、このLAST MINUTEはSleepless in Brooklynが、”今までにはない全く新しい[Alexandros]が詰まったアルバムだ”ということを伝える曲になった。掴みとなる重要な部分を担った曲がこの曲で本当に正解だと、そう思わせてくれた曲でした。

 

LAST MINUTEを簡単に言えば、既に紹介したムーンソングとSwanのいいとこ取りをしたような曲です。Swanは少し狂気じみていてディープな雰囲気があったとしたら、ムーンソングは比較的クリアで澄んだ感じ。

でも澄んでいながらも眩しくて輝いていた時間にはもう戻れない儚さがムーンソングには滲み出ているのが特徴で、ストーリー性を感じられる歌詞と、歌詞には美しい言葉たちが全体に散りばめられているのが特徴のSwan。今太字にした特徴2点をギュッと詰め込んだのがLAST MINUTEです。

また一番最初に物語チックな曲について、洋平さんが書く歌詞の特徴3つとして、①情景描写が綺麗 ②曲に出てくる主人公がほとんどの確率で孤独 ③ほとんどの確率でいなくなった相手を探していると書きましたが、LAST MINUTEは全てを満たしている類を見ない完璧な曲でもあります。(あくまで私調べ)

よって私の中でLAST MINUTEはこのジャンルの真骨頂と言っても過言ではなくて、幾度となく溺愛してきたわけであります。

 

月のあかりを頼りにして 時間のない夜に旅立つ

歌い出しの歌詞から早速『月』と『夜』が使われています。月のあかりを頼りにしているのだから絶対に夜であるはずなのに、『時間のない夜に旅立つ』という矛盾。どうやらこの世界ではない『夜』に向かうのかな、と解釈しました。ちょっとSF感。

この矛盾があって、LAST MINUTEを”時間のない夜で相手を探している”曲と受け取りました。細かい事を言うと、”時間のない夜へ相手に逢いに行く”という方が意味としては近いかもしれません。

重ねたリップの感触が 翌朝になっても残って

『重ねた”唇”』ではなく『重ねた”リップ”』と表現するあたりが非常にロマンチックだと、リリース当時ファンの間で少し話題になりました。ここに限らず、最初に紹介した一文も含めて、情景描写が綺麗ですよね。

 

あなたに出逢えたら 心が騒ぐでしょう

正式にリリースされる前、制作途中の段階で何度かライブで披露してくれた時がありました。その時に初めてライブで聴いた瞬間から忘れられなかったくらい、大好きな歌詞です。Swanでも結構な勢いで好きだと言っていた歌詞がありましたが、度合いで言ってしまえばこっちの方が圧倒的に上です。一番好きな歌詞はありますかと聞かれたら、迷わずこの歌詞が浮かぶくらい大好き。

この歌詞の何がいいかって、感情を「騒ぐ」と表現しているところ。嬉しいとか楽しみとか、わかりやすい感情ではなく「騒ぐ」という言葉をチョイスしたそのセンスに、本当に感動しました。心が揺さぶられた。まじで。

面倒なのでnoteに書いていたことをそのまま引用させてもらいます。囲んでいる部分がnoteからの引用です。 私が伝えたい魅力は『騒ぐ』という言葉を選んでいるところで、まさにその通りだと今読んでも思います。

1つ質問になりますが、好きな人や大切な人に会う・出会うとなった場合、あなたはどんな感情をイメージしますか?この場合って、さっきも書いたようにほとんどが嬉しいとか楽しみとか、プラスの感情だと思います。もちろんそれぞれあると思うけど、悲しいとか辛いとか思い浮かべる人って一般的にはあんまりいない気がするでしょ。
でもこの歌詞はここで「騒ぐ」と来たんです。じゃあもう1つ質問。気持ちが騒ぐと言われた時、それはどんな感情だと思いますか?私は同じ質問を自分にした時、これだと思った1つの感情は浮かびませんでした。
そう、私がここですごいなあと思って伝えたかったことは、「騒ぐ」といわれた時に思い浮かべる感情が人それぞれであることで、その歌詞や、また歌詞から連想される曲のイメージが人によって変わってくるということです。
何度も例に出すように、嬉しいとか楽しいみたいに何か一つ特定の感情を歌詞にしてしまうと、聴き手はそれ以上広げられなくなります。また好きな人や大切な人といった誰かに会う時の気持ちに、あまりマイナスな言葉を使うこともない。でもここで「騒ぐ」という言葉を使うことで、一気に感情の幅が広がる嬉しい気持ちもあるかもしれないし、一方で不安な気持ちもあるかもしれない。楽しみな分、緊張や終わってしまう切なさが混じることもある。

実際の生活の中で、そうやってポジティブとネガティブが混在する瞬間って多くあると思います。気持ちが一瞬で裏返ってしまう時もあるしね。プラスとマイナス、どちらの意味も含めた歌詞を使って、そういう人の感情の揺らぎやすく不安定な部分を上手く描写したところが、このサビの素晴らしさだし、好きだと思う部分です。

 

全て引用で終わらせてしまってごめんなさい。青字青字のオンパレード。『心が騒ぐ』って普通出てこないよね。日常会話で普通に使うような言葉でもないから、余計に文学的というか。重〜いオタクなので、この歌詞をライブで聴いては自分の気持ちに当てはめてしまい、何度も泣きました。そういう思い出もあって、特別な歌詞です。

 

「さよなら」その日まで「いつまでも」遊びましょう

今紹介した歌詞の次に好きな部分です。

なんて言うんだろう、「さよなら」と言うくらいなんだから期限があることに対して、「いつまでも」という言葉を繋げるなんて、あまりにも切なくないですか。

世の中の事象に永遠なんてものは存在しないけれど、それでも別れを意味する言葉と永遠を意味する言葉を同時に使うこと、あんまりないでしょう。例えば”さようなら、いつまでもお元気で”とかだったらわかるけど、この歌詞は”さよなら”と”いつまでも”の後に続いてる言葉がちょっと違う。

繰り返しになってしまうけど、”さようなら、いつまでもお元気で”の場合は、さようならと別れてもう知ることの出来ない、相手の未来に対して幸せを願ってる。

でも『「さよなら」その日まで「いつまでも」遊びましょう』は、『その日まで』なのでまだ別れていない。だけどこの言い方からして別れが来ること・終わりが訪れることは知っていて、別れがくるまでの”残りの時間”に対して『いつまでも』と言ってる。

これが、あまりにも切なくないですかと思った理由なんだけど、上手く伝わっていますでしょうか。永遠ではないことを知っているのに、まるで勘違いさせてしまうようなセリフ。

何よりも。何よりも伝えたいのは、終わりが来ると分かっているのに永遠を願う矛盾が生む儚さ

noteでもこう残していました。

歌詞の前後関係はともあれ、「さよなら」と言っておきながら「いつまでも」って、この2つの言葉の意味だけを見たら普通に考えておかしくないですか?いや、さよなら言ってる時点でもういつまでもなんて無理だし…と私は思ってしまうんです。
でもその矛盾をあえて使う。

「いつか終わりが来ることはもうわかっているからこそ、その日が来るまではその時間を永遠だと信じていたい。」こう解釈できるんじゃないかなあと思います。

とても綺麗で美しい世界観の曲でありながら、どこか切なくて儚く、孤独で残酷。残酷はちょっと大げさかもしれないけど、無情だなと思う。

LAST MINUTEがこの類の真骨頂だと言い、ここまでもの凄く歌詞について注目して紹介してきましたが、 実際洋平さんはインタビューでこの曲に対して「歌詞を聴いてほしい、読んでほしい。一番時間かけてるし。」と話していました。

また、もともとLAST MINUTEは英語詞で書き進めていたものを、直前になって日本語詞に書き直したそうです。[Alexandros]は英語詞の曲が多いことも特徴ですが、その反面、日本人にしか書けない歌詞があるということに気付いたきっかけの曲だ、とLAST MINUTEについて話していました。

他にもインタビューで日本語について、洋平さんはこう答えていました。

日本語ってロックに合わないとか、メロディに乗せると英語で歌うのには敵わないって言われてますけど、字面にすると美しいし、一語一語のインパクトは英語よりもあるんじゃないかな、と思うんです。(RollingStoneJapan Vol4 インタビューP16より引用)

こういった考えからも、聴き手である私たちが LAST MINUTEの歌詞を素敵だと思うのは、正しい曲の受け取り方のように思います。

どこか落ち着いた都会の夜を連想させるイントロと、ゆったりとしたミドルテンポな曲調は、お洒落な夜のドライブにはもちろん歩いて聴くのにもぴったりな音楽です。夜空を泳ぐような音や言葉達に、切なくなってみるも良し、歌詞を噛み締めてみるも良し。思いっきり酔いしれてみてください。

LAST MINUTE

LAST MINUTE

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④Thunder

2014年発売の両A面シングル『Adventure/Droshky!』のカップリング曲です。

紹介してきた他3曲が2016年や2018年と比較的新しいのに対して、7年前と割と前の曲になります。あとこれは、[Alexandros]に改名後*1初のシングル曲でした。

シングルのカップリング曲というだけあって、おそらくかなりマイナーな部類に入ると思われます。が、ファンの間では結構支持率の高い曲です。

2015年に行われたライブ『Premium V.I.P. Party』では、セットリストを作るにあたって初めてファンからの楽曲投票を行いました。そこで得票数ぶっちぎり1位だった曲が、このThunderでした。なんといってもシングルのカップリング曲なのでしょうがないような気もしますが、リリース後一度もライブで演奏されたことがなかった曲でした。そんな理由もあって、ぶっちぎり1位でランクイン。レア曲という位置付けだからこそ聴きたい!というファンの思いが伝わった瞬間でもありました。

これにはメンバーも驚いたようでした。何回も言って申し訳ないですが(笑)、様々な代表曲を差し置いてまさかのシングルのカップリング曲が1位なんですもん。まあびっくりですよね。それからはたまにですが、レア曲という枠を守りながらもライブで演奏するようになりました。見事今年発売したベスト盤にも仲間入りを果たしています。

今でこそセットリストに入ってきても馴染んでいるThunderですが、当初は少し浮いてる曲でした。打ち込みがメインでスタイリッシュなんだけど、ギターロックとは真反対にいるような曲。私に音楽の知識がちゃんとあればもっと的確な表現ができたのですが、言ってしまえば[Alexandros]らしくない。リリース当時は好き嫌いが分かれる曲だったような気がします。

2015年、2016年、2017年と年数を重ねるごとに少しづつ解放されていった[Alexandros]の曲調。

”これは[Alexandros]らしくない”とか”ドロスっぽい”なんてものに縛られず、作る曲に自由度が増していきました。そうして色々な曲調の音楽を作るようになってから、今までは打ち込みを使っていたとしてもあくまでギターサウンドがメインだったのが、少しずつ打ち込みがメインの曲も増えてくるようになりました。

 

そうするとあら不思議、少し前までなんだか浮いていたThunderが、少しづつ馴染んでくる。

 

つまりこのThunderが、後に発売されるLAST MINUTEやPARTY IS OVER、Come Closerへ続く布石だった

 

と思うと感動します。わっかりやすい例えで言うと、先取りすぎてもはやついていけない…!みたいなものだったのかもしれません。

なので今の[Alexandros]がライブで演奏するとものすごく化けます。原曲はもう変えられませんが、ライブは常にアレンジされて今の[Alexandros]仕様にアップデートされているので、廃れることを知らない曲です。

 

歌詞の説明そっちのけで曲のプロフィールについてめっちゃ書いてしまいました。上で紹介してきた曲たちの入り口には過去曲に伏線があって、全て繋がってるのではないか?ということをどうしても伝えたくて。あくまでも、全て私の憶測ですが。

 それでは本題に入ります。

雨が降って飛び込んでったあの世界に

会いたいって思って 辿って巡り巡りきたのです

明け方になって我に返って「もういい」って

ほんの少し君の世界にいたかったのです

一体いつの時間のことを指していて、どんな空間のことを歌っているのか。全体的に抽象的でぼんやりしていますよね。この曲を出したのは2014年。この頃あったドロスの曲の中で、日本語詞でここまで抽象的な歌詞を書いた曲はあまり見ず、珍しかった気がします。 言い回しや例えが独特な歌詞はありましたが、抽象的っていうのはなかった感じ。

雷が鳴って飛び込んでったあの世界に

消えたいって思っても眠っても 朝目覚めるのです

雷が鳴って飛び込んでったあの世界は

会いたいって戻っても もう僕には行くとこがない

雷のように一瞬だけ姿を見せた”君のいた世界”は、まるでタイムワープのようでもう戻ることもできないし、君に会うこともできない。夜にだけ見えた世界なのかなあ。

今紹介してきた歌詞は全てサビの歌詞なんだけど、AメロやBメロの歌詞は割とわかりやすい歌詞なんですよね。

あたりさわりない僕の毎日がまた 月火水木金で染まってく 

ひとまず残った申し訳程度の土日で 元通りにって塗り替える

あたりさわりない僕の一年が 春と夏と秋と冬で埋まってく

何も残らないから「せめて三ヶ日の間だけでも」って取り戻す

ちなみにこれは1番と2番にあるAメロの歌詞。

この曲の主人公はごくごく普通の日本人の生活を送っている感じです。残酷な言葉で言ってしまえば、仕事に追われて一年が過ぎていってしまう、今の日本人によく見るタイプ。 そうやって仕事に明け暮れていた主人公ですが、ある雨の日に幻のような世界と出会う。思わず飛び込んでいった主人公。だけどその世界は一度きりで、それ以来もう戻ることは出来ませんでした。

忙殺されそうになる現実世界からの逃避、を美しく描いた曲だと勝手に解釈しています。

 

中2の頃、この曲をテーマにして美術の作品を作ったことがありました。歌詞や音からイメージをもらって、自分で勝手に物語を作って(笑)、そこから作った感じです。まだムーンソングもSwanもLAST MINUTEもドロスの曲になかった頃。ほかのどんな曲でもなくThunderを選んだあたりが、今ここで紹介しているのにも納得がいきます。

この曲、なんといってもメロディが本当に綺麗なんだよな…と。使われている音が洗練されていて格好いい。あとヒロさんの下ハモがまじでいい味出してる。今回はあくまでも”歌詞”にフィーチャーさせて書いているので、あまり音には触れないのですが。この曲に関しては音込みでプレゼンしたいです。

 

今聴いてもちょっと異質なこの曲。今までにない[Alexandros]を知るのにうってつけの1曲です。様々な楽曲に繋がる布石を感じながらも、どこにも属さないこの曲が持つ”個”の強さを感じてみてはいかがでしょうか。

Thunder

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⑤PARTY IS OVER

こちらも2018年発売のアルバム『Sleepless in Brooklyn』に収録。LAST MINUTEと同じアルバムに入っています。Sleepless in Brooklynに入っている曲の中で、この曲が一番好きです。こういう曲がもともと好みなので、歌詞というよりかはメロディに惹かれたというのが理由なのですが、曲調が本当に本当にドストライクで。初めて聴いた時から迷わずこの曲が一番でした。

ツアーでやっていた時は必ずCome Closerとセットで演奏されていたのですが、Come Closer→PARTY IS OVERの2曲の流れが本当に綺麗で大好きだったなあという思い出。この時だけ毎回異様にドキドキしてた。

 

あと私の勝手な思い込みかもしれませんが、バンドとしての”推し曲”のいうポジションにいる気がします。自分の好きな曲だから敏感になっているだけかもしれないので、何度も言うように勝手な憶測ですが!

というのもこの曲、Sleepless in Brooklynを引っ提げたツアーが終わってからのセットリストにも、結構入り込んでる。2019年11月〜2020年1月の間に行われた『VIPツアー九州〜9周年だから九州ツアー〜』でも、この前幕張メッセで行われたライブ『Where's My Yoyogi?』でも本編ラスト一曲という位置でランクインしてる。

アルバム曲の中で、アルバムツアーが終わってからもセトリに残り続ける曲ってかなり少なくて、どうしても曲数が多いから数年経つとやらなくなっちゃう曲の方が多い。で、残る曲もアルバムのリード曲だったり、シングル曲の方が確率としては高いというか。

それなのに()、なんとPARTY IS OVERは残ってる!この曲が入っているアルバム『Sleepless in Brooklyn』のリード曲はアルペジオ、その次にMosquito Biteあたりです。でもPARTY IS OVER、リード曲でもないのに残ってる…!伝わりますかこの凄さと喜び。

比較的最近の曲をやるとなった時に、そこには

”聴いて欲しい今の[Alexandros]”

”知って欲しい今の[Alexandros]”

という意味が込められていると私は思っています。

これが、長年セトリに居続けている『Starrrrrrr』や『For Freedom』といったベテラン勢とは違うところ。

PARTY IS OVERはどちらかというと今までのドロスには無かったジャンルの曲で、初めて聴いた時も新鮮さがありました。だからつまり、「ドロスってこんな一面もあるんですよ〜」っていうことを、曲を通して提示していく。そこにPARTY IS OVERが選ばれたということが凄く嬉しかったです。

まあ、単純にドロスなり洋平さんが今好きな曲だから 選ばれただけなのかもしれませんが(何ならそっちの方が有力)、 そうだとしてもそれってつまりは”聴いてほしい今の[Alexandros]”を表している事に変わりはないかな〜と思っています。

 

だんだん前置きの割合が多くなってきましたね。歌詞の解釈よりも前置きの方が長くなってます。

 

雨上がりのPartyは君を深く知れた

瞳の奥でYou heart was beating

か弱い場所

洋平さんが書く歌詞って、たまに凄く繊細な表現をする時がある。曲に出てくる人物が繊細、という方が伝わりやすいでしょうか。女性目線で繊細な人物像を歌詞にすることが、凄いなあと思うところです。ちょっと今回のテーマからは逸れてしまうような気がして、掘り下げるのはやめます…が、この曲自体の話は進めます。

口元笑っても声は震えてた

瞳の奥でYou heart was beating

Party is over

I'm not over

(1番)

口元笑っても声は震えてる

瞳の奥でMy heart is beating

Party is over

I'm not over

(2番)

1番が相手のことを歌った歌詞で、2番が自分のことを歌った歌詞。

ここで面白いのが、相手のことを歌う時は『声は震えてた』と過去形なのに、自分のことを歌う時は『声は震えてる』と現在形であるということ。これに注目して歌詞全体を見てみると、1番に出てくる歌詞は全て過去形です。逆に2番は全て現在形。

か弱くて繊細な彼女のことを1番では歌っていながら、一転して2番では彼女を失って臆病になった自分のことを同じ歌詞を使って表現しているのが、言葉が持つ意味の奥深さを知ることができると思います。

君がいないと始まらないよ

Party is over?

物足りないよ

と言っておきながら、歌詞の中ではずっと

溢れる涙を拭きながら

歩こうよ ひとりきりで

呆れるくらい真っ白な空

さあ帰ろうよ ひとりきりで

と、もう完全に一人でいることに何の躊躇いもない感じ。この吹っ切れている感じが、聞き手にとっても清々しい。一人でいるはずなのに寂しさを感じないのがいい。

…なんてここまで書いてみたものの、メロディを知っているからそう言えるのかもしれないって思ったりしました。この曲の冒頭にも書いたように、私はPARTY IS OVERをメロディで好きになった人間なので、どうしても話が音の方に偏ってしまうらしいです。この記事はあくまで”歌詞”に着目して書いているので、あまり音には触れたくないな〜っていうのが本心なんだけど、難しい。

 

60%の説明って感じがして悔しいのですが、曲名が『PARTY IS OVER=パーティーは終わった』という意味なだけあって、パーティーが終わった後の”終わってしまって寂しいけれど余韻に包まれている感じ”が見事に表現されている曲です。歌詞だけ読んだら寂しくて切ない物語なのに、それを寂しく感じさせない清々しい雰囲気を感じられるのは、メロディがものすごく良い仕事をしているから。

酔いが少し残った朝帰りに聴いても、終電ダッシュでなんとか家路につけそうな帰り道に聴いても、はたまたなんでもない日に聴いても、どんなシチュエーションにも馴染んでくれる。聴く場所を選ばずその日常を彩ってくれる、素敵な1曲です。そんな万能な曲、そうそうないですよ。ぜひプレイリストに入れておくことをお勧めします。

PARTY IS OVER

PARTY IS OVER

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以上、私が思う”物語チックな曲”計5曲でした。

この時点で15165文字という驚異的な字数を叩き出しているのですが、まとめがあるのでもう少しだけ続きます。私が書くブログの平均字数は大体3000文字で、多くて5000〜6000文字なんですね。それがなんと1万文字を余裕で超えています。過去最高字数!怖い!まじ論文か?って感じ。

 

 

洋平さんの書く歌詞の特徴は、"聴き手に想像させる自由を与える"余白のある歌詞"を書くことです。

これがSwanの途中で「これは後で詳しく書く」と後回しにした部分なのですが、歌詞の中で全てを説明しないんですね。

だから聴く人それぞれの物語ができる。言葉一つ捉え方を変えるだけで、曲に対するイメージや感情移入の仕方などがガラッと変わってくる。

抽象的な表現が多くて伝わりづらい!と思う人もいるかもしれないし、聴き流して雰囲気で楽しんでいる人もいるかもしれません。

どう聴くかは自由ですが、こうやって"想像する自由がある歌詞"="余白のある歌詞"というのは、抽象的な言葉だからこそ生み出せるものではないのでしょうか。

 

そしてもう一つ、洋平さんは"朧気で曖昧な時間軸の歌詞"を書くことが多いように感じます。

はっきりと朝だったり夜というわけではなく、夜と朝の中間と言いますか。絶対にこの時間帯!と断言できないような言葉選びが多い気がします。

SwanとかLAST MINUTE、Thunderにそういったものを感じます。

もう少し踏み込むと、人によって捉える時間が違うと言うとわかりやすいでしょうか。朝とも取れるし、夜とも取れるし、夜明け前のようにも取れる。まるで時間と時間の間にいるようで、一体どの時間のどんな空間に曲中の彼らはいるの?と思ってしまうような感じ。

 

全く違う曲ですが、『月色ホライズン』という曲に

昨日が明日と背中合わせで

という歌詞があります。

飛行機に乗っている時に窓から見えた景色を見て、昨日と今日の境界線がわからなくなる感じが好きだと、以前インタビューで話していました。

飛行機に乗っていると、昼なのか夜なのかわかんないような状態の空を見れるわけですよね。その時がすごい好きで。時間をまたぐ時っていうか。(ROCKIN'ON JAPAN 2019年9月号 インタビューより引用)

と、ここからもわかるように、意識していなくてもそういう言葉を選んでしまう節があるのではないかなあと思います。

 

 

冒頭にも書いたように、[Alexandros]が紹介される時はほとんどが”バンドのスタンス”です。あとは普通に簡単なプロフィールと、今までの活動について。

でもその紹介のされ方は正しいし、私の要求は初歩的な10を知る場所でファンが100を求めているようなものなので、特にそこに文句を言いたいわけではありません。

また、歌詞というのは常に”解釈の自由”が付き纏ってくるので、「これが正解です」といったものも存在しません。そうなってくると、必然的に歌詞の意味を交えた曲紹介も減ってくるというか。

 

だからこそ、こうして誰かが一例として歌詞を紹介しているものを読んで、歌詞がもつ奥深さだったり曲にもたらす影響力のようなものを、感じてもらえたらいいなと思います。

メロディーがあっての歌詞だし、歌詞があってのメロディーだし、どちらか一つでは成り立たない。互いが互いの良さを出し合っているからこそ、一つの曲として100点満点のものが誕生するのだと思ってます。音楽っていいね。

 

そうして少しでも

川上洋平が書く歌詞や[Alexandros]の楽曲には、文学的な良さもある

ということを知ってもらえたら、歌詞オタクとしては本当に嬉しいです。

 

 

最後に

繰り返すようですが、ここまで書いてきたことはあくまでも私なりの解釈であり、これが正解ではありません。全て共感できなくて当たり前だし、違う解釈があって当たり前です。

それが面白さでもあるんだよ!ということ。

*1:[Alexandros]は2014年3月28日をもってバンド名を[Champagne]から[Alexandros]に改名しています