ひとりごとの記録

主に音楽、アイドル、菊池風磨くんのオタクのひとりごと。

心の中に居続ける人

またメモとtumblerとここの棲み分けがわからなくなっています。そして性懲りも無くPCからタイピングで挑もうとしています。2年前の記事とか結構PCで書いてたんだけどな〜、、、。ただでさえ出来ないタイピングがもっと出来なくなっていることに焦りを感じているので、せめてもの償いとして今奮闘している。

Twitterの凍結が騒がれていますが、例外なく私もその一人でありまして。いや弱小アカしか持ってないし変に恐れる必要はないと思うんですけど(とか言って弱小なのに凍結したら草)、こうしてサービスが終了していくのかなあというか、終わる来るかもわからないけど、シンプルにTwitterが消えることに怯えています。2019年くらいからの思考の置き場所や記録する場所は全部Twitterだし…。

いや本当、Twitterに限らずデジタルの怖いところってこれだよな〜と思う。はてブロも勿論だし、ずっっと愛用してるtumblerも。だから結局紙媒体しか信じられないんですよって話。だから私はずっと日記も並行して続けているし、本当に残しておきたいことは全て紙にも書いてます。2014年に日記を始めた時も、デジタルを信用していないから、が理由だった。

 

前置き長。

 

”10代の多感な頃に触れたものは後の人格形成に大きく影響するし、自分の記憶の中でずっと参考となり続けていく。たとえそのものから自分が離れても。”みたいなことを書いている人を見つけて、非常に腑に落ちました。他者の考えによって自分の中で答えが出る感覚が気持ちいいし楽しい。思考を覗き見する感じ。それができるのがTwitterなんだってばよ………

 

私がずーーーーっと、もう本当にずーーっと、囚われて抜け出せずにいた[Alexandros]と川上洋平という人間。最近やっと呪縛から解かれて抜け出すことが出来ました。トータル3年くらいかかった。長すぎて笑えない。

どうして何を聴いても[Alexandros]と比べてしまうのか、重ね合わせてしまうのか。好きだったあの頃の気持ちも含めて、似ている似ていないで好きを判断してしまうのか。代わりとなるものを無意識のうちに探してしまうのか。[Alexandros]を抜きにしても、応援の仕方(これは完全に余談であり補足ですが私は売上や数字重視の応援がとても苦手で、リリースになると心が疲れます)、楽曲において使われている音、拭いきれない好みetc…、アーーーッちゃんと文字にすると途端に難しくなる。それら全てがここ1・2年自分の中にずっとあるテーマでした。

vvave.hatenablog.com

だけどこれは無意識に備わったもので、そんなものに思い悩む頃よりも前にこのようなものを書いておりました。

 

こんなにちゃんと書くような雰囲気を作っておいて、「そんなもんだよなあ」で済ませてはいけないとはわかっているのですが、詰まる所「そんなもんだよなあ」に落ち着く。そんなもんだし、そういうことなんでしょう。

私はこれからもずっと[Alexandros]然り川上洋平にいい意味で囚われ続けていくし、いつまでも思考の片隅で影をちらつかせているのでしょう。14歳という多感な時期に彼を見つけて、せまいせまい世界でたった一人、唯一信じていた大人。今でも思い返す度に勘違いして夢を見たんだなあと少し反省したくなるけど、あれは夢を見るには十分だったし、責められないなとも同時に思う。たった一人の大人に憧れて、夢を見て、進路を決めて。眩暈がしそうなほどの蒼さに溢れた危うげな選択は、ためらいも何もない10代にしか出来なかった。私の中にそれほどまで影響を与えた人間がいる、という事実が財産なのだと思ってます。だから今の私が風磨くんの考え方や生き方を聞いてもそれを洋平さんと重ね合わせてしまうだけで、直接的に影響されることはきっともうなくて。私はないものねだりなので、風磨くんが私にとってそんな存在だったらどんな影響を受けていたのかな、なんてこともたまに考えてしまうけど、10代の頃に信じて着いていった人が川上洋平で良かったと胸を張って言えます。

 

その先で、バトンタッチした人が今の風磨くんなのだから。

人は出会うべき時に出会うものです。そうなるように出来ている。