ひとりごとの記録

主に音楽、アイドル、菊池風磨くんのオタクのひとりごと。

儚さの欠片を集める

 

3月7日

 

今年も誕生日に合わせてブログを書こうと思い、自分のメモやら過去の記事やらを読み返していたけれど、やっぱり一番はこれでした。

「永遠なんてないかもしれないけど、永遠を信じられる僕たちでいたいし、いてほしい。時間に縛られることなく、12年間の思い出はみんなの胸の中にあります。」

信じていられますように - ひとりごとの記録

去年の東京ドームで話していた風磨くんの言葉。私これ、あと何年間擦り続けるのだろうか。本人の口から直接受け取ったあの日は、ライブが終わってから、ほかのどんな感想よりもこの言葉が頭の中をこだましていた。それくらいの言葉だった。

 

 

夢は覚めるし、魔法は解けるように、永遠だって存在しない。

 

だから永遠なんてないと言うけれど、未来の約束をしないわけではない。

それでも永遠を信じて、そのあいだだけでも同じ夢を見たいと話す。

 

これが、菊池風磨というアイドル。

 

ほかの誰よりも、風磨くんを通して見るアイドルが大好きだから、私は風磨くんの担当をしています。

毎年毎年、節目の出来事があるたびに”風磨くんが叶えたいもの、手に入れたいもの、掴みたいと思っている未来が、何ひとつこぼれ落ちることなく手のひらの中にありますように”と願ってきたけれど。去年の誕生日から今日までの1年間を思い返した時、ちょっとあまりにも崩れていったものが多すぎて、別に私は今も昔も風磨くんに何かを与えることができた試しはないくせに、ごめんね、と思ってしまいました。目に見えるかたちで崩れていったもの、手放さなければならなかったものがありすぎたのに、それでも無垢に変わらぬ願いを捧げるのは野暮な気がして。

 

ごめんね、だけどそれ以上に、ありがとう。

アイドルを続けてくれて、グループを守ってくれて、グループで売れたいと夢を口に出してくれてありがとう。1月のあの日、たしかにきみの言葉に救われた私がいた。これは決して、去っていく側を悪く言うつもりはなくて。ケンティーが30歳という節目にソロ活動をするという決断をしたように、ほかの3人もまた、どう活動をしていくのか決断をしなきゃいけなかったわけだから。そのときに前を見ているきみがいたから。多分今、私は春を待つことができているのでしょう。

 

あとはでももう、やいのやいの言われるのも承知でこの活動してますから、もうそれは好きなだけ、好きなように、僕のことを言っていただいて構わないですけど。ただまあ、他のメンバーのことを悪く言わないでいてほしいなと。言わないでやってくれということが、僕からのお願いでございます。

2/20のQrZone。ケンティーがグループを辞めることに対して、なぜ脱退という表現を使ったのか補足という名の説明をした後にこう話したのを聞いて、やはりきみはどこまでもきみのままなのだと、その不器用な優しさに涙が出た。言葉を使える人でありながら、大事な時には行動で示していく。自分の保身のために言葉を使うことは、ゲーム内で言葉巧みにズルを持ちかける場合を除いて(笑)、ほぼない。この日きみは、25分間しかないラジオの中でOAする曲を一つ減らしてでも、去っていくメンバーを守るために脱退について言葉を尽くしていた。

 

 

自分から矢面に立つようなタイプであるきみがグループの長男になってしまうことに、ひどく不安を抱いたのは言うまでもない。マリちゃんが卒業する時、「『マリウスのことを応援して背中押したんですよ。マリウスも俺らのこと応援してくれてるんですよ』っていうのはそりゃ言うよ。だって俺らが倒れちゃったらさ、誰もついてこれなくなっちゃうじゃん」と大粒の涙を流しながら本音を溢したきみを、私たちは知っている。深読みのしすぎだと言われたらそれまでだけど、そんなきみの口から、前向きな言葉の裏に隠された葛藤や不安を聞くことができる日は、訪れないかもしれない。

だから私は、責任という鎧に着せられてきみ自身を見失ってしまうことが、絶対に絶対にありませんようにと願う。きみはどこまでも自由であり選ぶ権利がある。それは夢のかたちも、幸せのかたちも、だ。きみの幸せが当たり前にあることが大前提で、そのなかで風磨くんの努力が正当に評価され、報われる世界であってほしい。

去年もその前も、いつだって私は祈ることしかできないけれど。変わらずにアイドルでいてくれる風磨くんがいるから、今年もまたこうして祈ることができている。

 

 

刹那の狭間にうまれる一瞬のきらめきに、きみは夢を魅せてくれる。

 

彼の価値観に絶対も永遠もないからこそ、一瞬一瞬を積み重ねていくように生きる姿を、”エモい”なんていうたった3単語で済ませてしまうことがたまらなく嫌で、風磨くんのなかにある儚さのかけらを見つけては、いつも自分なりの言葉にして残してきた。

 

 

 

風磨くんへ。

28歳は楽しかったですか。

充実していましたか。

多くの夢が叶った一方で、正直、多くの願いが消えていった一年でもありましたね。

グループの名前が変わることが決まって、15年一緒にいたメンバーが違う道を歩むことが決まって。

それでも永遠を信じられる僕たちでいたいと、アイドルとして夢を見ることを諦めないでくれた。

 

28歳も、アイドルでいてくれてありがとう。

そして今日から始まる29歳も、変わらずにアイドルを選んでくれてありがとう。

 

本当は、誰よりも永遠を信じていないのはこの上ない自分自身です。

だから私は未来に臆病で、来年もずっと好きでいるなんて思えない。

どうか同じ夢を見ている時間が少しでも長く続きますようにと、自分の気持ちにさえ願うことしかできない。

 

それでも、そんな時間が続く限りは、

刹那にきみが織りなす儚さを抱きしめて、

そっと胸の中にしまえたらいいと思う。

 

きみを通して、宝物のような時間が増えればいいと思う。

 

いつだって、今の風磨くんが一番格好いいよ。

そうやっていつまでも同じ今という時間から、同じ未来を見ていられますように。

 

あの日信じた永遠の中で、ずっと。

 

 

 

風磨くんお誕生日おめでとう。

幸せな29歳を過ごしてね。

 

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重圧にならない程度で良いから「やっぱ6人だよな」を

SixTONES VVS 2/17京セラ公演、MC中に何度も聞こえた「やっぱ6人だよな」の言葉。

大切に、大切に、噛み締めなければと思った。

 

センターステージから放射状に伸びる6本の花道の、どこに立ちながら話すのがいいのだろうか、とメンバーが好き勝手な方を向いて話しているとき、5:1の図で北斗くんが1人になる瞬間があって、それは自分の意思でそこに立っていたし不安に思うことは何ひとつないけれど、その姿を見たこーちが「ほら!決めないと北斗が1人あっち向いちゃってる!」って。きっとこーちはそんな深い意味なんてなく言ったのだろうけど、そうやってひとりでそっぽを向いてしまっても必ず気づいてくれる人がいて、無視せずに仲間に入れてあげようという姿勢が必ずある。

ただ毎日一緒にいればいいわけじゃない、そんな気持ちで円満な関係のまま10年以上同じ人間と過ごすことなんてできるわけじゃない。当たり前に感じている6という数字の裏側には、そういう小さな思いやりの積み重ねで今があるのだろうと思った。

 

あの時、北斗くんを見捨てないでくれてありがとう。本当にありがとう。

 

6人だよなあと話してくれるたび、思いを馳せてしまう、私は知らない過去。どこかでボタンを掛け違えていたら私が今出会う未来はなかったのかもしれないと思うから、いつも感謝してしまう。

 

 

北斗くんがメンバーと気まずくなっていた時、唯一話せたという田中樹さん。メンバー内で唯一の同い年であり、誕生日が3日違いという唯一の双子でもある田中樹さん。そう、2人はほくじゅり。

青と白のペンライトに囲まれて、セットに腰掛けながらスーパーボーイを歌う2人の背中が、まるで星空を眺める姿のように見えて静かに涙が出ました。

 

 

アイドルに絶対を押し付けることは罪のような行為だと、最近は思う。

たとえどんなに信じたくなる理由が増えても、6人であることを強制することはできないし、引き止める権利もない。彼らがしきりに口にしてくれる「やっぱ6人だよな」が、知らぬ間に縛り付けている呪いになっていないかと不安になる時がある。

 

結局は、同じ夢を見ているこの時間がどうか1秒でも長く続きますようにと、祈ることしかできなくて。

最近は辞めてしまうことや命ごと消えてしまうことがとても多いし、永遠なんてないのだと実感する出来事をこの1年間で何度も体験して、アイドルが変わらぬ形のまま続く尊さを知っているから。そして限られた時間の中でアイドルが描く夢についても、何度も考えさせられたから。

 

5年後も、10年後も、ずっと一緒にいてね。

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何気なく、でも当たり前のように話してくれる「やっぱ6人だよな」の言葉を、重く受け止めながらMCを聞いていたオタクの話でした。

祈りにもさせられなくてごめん

 

 

やはり、わかっているようで何もわかっていなくて、でもTwitterを見ると涙がじわじわと出てくるから、やっぱりわかっているらしい。

でも情報として理解はしてるけど処理できてない。自分の感情が散らかりすぎていて、どこから手をつけたらいいのかわからない。

 

そんな予感はしていたよ、なんて言ったら駄目なのかもしれないけど、今いる場所では収まりきらなくなって、いつか一人でスッと羽ばたいたいってしまうのではないかと思った時が、好きになってすぐの頃に一度だけあった。それくらい光を放っている人だった。

これはケンティーに限った話ではないけれど、お茶の間としてSexyZoneを見ている時から普通に知っていた人じゃない。風磨くんを通してSexyZoneをちゃんと好きになった時、まさか小学生の頃から当たり前に見てきた、アイドルの鏡のような存在のケンティーがいるグループを好きになるとは思わなかったと、自軍の話なのに好きなグループにケンティーがいることに毎度新鮮に驚けるくらい、やっぱり華があって眩しくて、とんでもなく光を放っている人だった。

なんでどうしてって、野暮なことを思ってしまう。話し合ったなら止めてよって、引き留めて欲しかったよって、なんでそんなに物分かりがいいのって、思ってはいけない気持ちを抱いてしまう。今の自分が選ぶ言葉すべてに棘がある気がして、何も言えない。

 

これからのことなんて当たり前にわからない。いつも言葉を選んでどこまでも尽くして丁寧に気持ちを届けてくれるグループだから、きっとこれからもそうなのだろうと思う。まだ伝えられない詳細もあるのかもしれないし。でも良くも悪くも過去は変わらなくてさ。ケンティーがいたSexyZoneは終わるということは変えられなくてさ。これからの思い出を共有できないのも、また事実でさ。それだけがどうしようもなく辛い。

辛さに気持ちが追いつかずついていけなかったのが四年前の話です。結局思い出してしまいます。結局トラウマです。トレンドに“ケンティー卒業”の文字を見つけて鼓動が早くなって息が浅くなったとき、一気にあの感覚が蘇ってきて気がどうにかなるかと思った。だからこそなんて接続詞はおかしいかもしれないけど、だからこそ今はついていきたいって気持ちがある。意地でもゾンビになってもこれからのSexyZoneについていきたいって、好きでいれたらって思っています。これは紛れもない本音です。

 

ただ、それとは別で変えようのない辛さだけが取り残されていて、結局それは自担への心配になるわけです。無敵のシンメだったのに、片割れがいなくなって、グループ内では長男になっちゃって。歌割りだってせくしーお家芸の決め台詞だって、ハイトーンが出るメンバーだってねえ、どうするの。どうするのなんて、ごめんね、でも心配です。すべて深読みだったら申し訳ないしいっそのことそうであってほしいけど、泣きそうな時にする目の逸らし方と口を窄める癖が動画にもあって、そんな顔してほしくないよ。風磨くんは頭がいいし物分かりもいいから、きっとこれから先も優しい言葉をかけてくれるのだろうし、全てを背負う覚悟でいるのでしょう。でも去年の5人からの卒業の時『だって俺らが倒れちゃったらさ、誰もついて来れなくなっちゃうじゃん』って言いながらボロボロ泣いてる姿を知っているから、やっぱり心配が勝ってしまう。

 

きみの願いがまた一つ、消えていく。

 

去年のツアーで『もう誰も卒業しないように、そのために大きな夢を叶えたい』って話してくれた姿を思うと、やるせない。心臓が痛い。東京公演で毎回言っていた『永遠なんてない』という言葉が頭の中を駆け巡っている。比喩でもなんでもなかった。私は過去のことを思い永遠なんてないと話す姿を見ていたけれど、風磨くんはもう一歩先の未来から、その言葉を紡いでいたんだね。

永遠なんてないと知っている君が、それでも信じられる僕達でいたいと言ってくれた。その裏側にあったのは、あまりにも重たい事実。

 

どんなに形が変わっても、グループで追う夢を、グループが持つ可能性を、それすなわち永遠を信じようとしてくれている。3人になっても売れたいと、自担がそう言っている。

どう足掻いても私は風磨担です。どんなに茨の道に見えようと、選んだ未来を君自身が幸せだと信じているのなら、私は君の味方だ。

プレイリストと共に2023を振り返る

毎年年末に書いているのです…が、今回も結局間に合いませんでした。

去年のはこちら

vvave.hatenablog.com

 

本当のことを書くと去年はプレイリストすら作っていません…。

前回のブログでも書いたけど、2023年(特に下半期)はありとあらゆるものに対して自分と向き合うことを放置した1年でした。とにかくずっと逃げていたね…。あと下半期は風磨くんの気持ちが緩やかに落ち着いていった半年でもあったね…。決して冷めたとかそういうことでもないからすごく形容し難いんだけど、まあ、穏やかになったと表現してあげるべきかな。

応援している人が複数いると、気持ちの熱が代わる代わる交代制みたいになっちゃうのは自分的にあるあるです。それでもその中でも、やっぱり風磨くんは特別であってほしいっていう自分の願望が消せない。ずっと風磨くんは特別だって今も思ってるしそう思ってきたんだけど、そういう自分の気持ちに囚われ始めたのが下半期というか。好きだから特別じゃなくて、特別だから好き、みたいな。

まあ良くも悪くも去年のような気持ちはもう二度と戻ってこないだろうと思っています。あれは好きになってすぐの頃にしか抱けない気持ちでもあった。

 

プレイリストも作っていない、日記のような記録もまともに残していない、みたいな1年間ではあったけれど、なら尚更ここでまとめて振り返ってしまおうかと思います。相変わらず前置きが長いのでとっととスタート。

 

① Take A New Step - SexyZone

2023年と言われて真っ先に浮かぶ曲はこれでした。今年発売されたアルバムに入っている曲、ですが、リード曲でもないのでサブスクがない以上試し聴きする術もなく……。

まずこういうサウンドの曲が好み。一番最初に引き込まれた理由はイントロのあの音なんですけど、でもやっぱりこうして印象に残った理由は歌詞でした。

君に会ってから塗り変わっていくcolor (1A)

世界が回り始める 書き換わるrule (1B)

まずこの2つ。こういう類の歌詞を歌われてしまうとねえ、弱くて。どうしても風磨くんのことを当てはめてしまうわけですよ。曲次第ではどこまでも重たい愛にできると思うんだけど、メロディーのおかげでカラッと歌い上げてるのもまたいい。

見にいこう 希望しかない新天地さ

君の色で染めてしまって

We will know きっと ここに花が咲くだろう

Cメロにあるこの歌詞が本当に本ッッッ当に大好きで、ここが聴きたくて聴いているようなものでした。君に風磨くんを当てはめて、風磨くんを好きになったことで私の中の時が進み、毎日が楽しくなったことの比喩表現として最初は聴いていたんですけど、転職とか今後のことを考え始めたときに君を自分に当てはめてみたら、聴こえ方が一気に変わって応援ソングのようになってくれたのも、ここに書き残す曲になった理由です。

ドームツアーではセトリ落ちしちゃったんですけど、アリツアに行くたびに一番楽しみにしていた曲です。『新しいドア開く音』でドアを開ける振りがあったり、『knock,knock』でコンコンとドアノックする振りがあったりと、歌詞に合わせたダンスが可愛くて素敵でした。どうか映像に残りますように…。

今書いた歌詞どっちも風磨くんのパートなんですけど、風磨くんに振ってくれて本当にありがとうございました………。好きな歌詞を自担が歌ってくれるのはやはり大きいです。

 

②孤独の中で鳴るBeatっ! - ももいろクローバーZ

大丈夫さ 大丈夫って言い聞かせても

心配性なんだね 毎日を孤独の中で鳴るBeatっ!

仕事でこの曲を毎日聴いていた時がありまして、その時に出会いました。

なんとなく聴き流していたら上に書いた歌詞が耳に残って、なんというか、大丈夫だよで済まさないで「心配性なんだね」って続けてくれるところが優しいなあって思ったんです。

眠れない夜 僕が主人公のこんなStory

限界だもう!ってお風呂に浸かってく

仕事も夢も頑張ってきたっておっきな声じゃ言えないし

明日の1ページもまだ開けない

刺さるねーーーーーーー。まあ下半期は得体の知れない死にたさが占領して、ずっと絶望してたしずっと路頭に迷ってはいましたが、それがリアルになってきたのが11月末。そんな時にこの曲を知ったのが、出会うべくして出会ったなあというか、本当上手いことタイミングってできてるんだなあと思いましたよ。こういう曲をたくさん書き残すのがこの回なんだけどな。

あとこれ、イントロ聴いた時からめっちゃ神聖かまってちゃんぽいなーって思っていたら、の子からの提供曲でした。よく考えてみたらタイトルに小さい"つ"が入っている時点でもうかまってちゃんぽいかも。

 

③Get Inside Me - JO1

Get Inside Me

Get Inside Me

  • JO1
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

その瞳にあの宇宙が広がってる

もっと君 知りたいよ

番外編③ Small Love Song - SexyZone

シングル曲RUNの通常盤カップリング曲に収録されています。

 

君の目をのぞく度、美しさを見つけ

君の目をのぞく度、人生を見つける

プレイリストと共に2021年を振り返る - ひとりごとの記録

 

いつかのブログで似たような歌詞を載せていましたね。というか、Get Inside Meのあの歌詞を聴いた瞬間、真っ先にセクゾのこの歌詞が浮かびました。あともう一つ似たような歌詞をあげるなら、同じくSexyZoneの『Fantasy〜1秒の奇跡〜』という曲に

It's fantasy 君の瞳の中に見えるよ It's fantasy 僕を照らす光

という歌詞があります。こういう言い回しの歌詞がとにかく好きだということです。似たような歌詞が3つも並んだので改めて考えてみたのですが、ここから見えるのは”目"というものを本人以上の概念として捉えている部分があるというか。好きになるその向こう側には、君の見ている世界を知る、のぞく、そういう感覚があるのだと思います。

そんな歌詞をね、しょせを好きになってすぐの頃に見つけてしまったものですから、うわ〜!危ない!って思いましたよ。運命だと勘違いするには十分すぎる歌詞。でもオタクになろうかうじうじ迷っていた私に対して後押しになった歌詞なのは事実かな…。別軸でJO1の曲を挙げると圧倒的『MONSTAR』と『ICARUS』なんですが、自分の気持ちを交ぜて印象に残っているのはこっちかなあという感じです。でもいつかちゃんとこの2曲についての記事を書きたい。最近書かなくなった歌詞考察スタイルで書きたい!と思うくらいには好きです。

 

④月曜日の朝、スカートを切られた - 欅坂46

月曜日の朝、スカートを切られた

月曜日の朝、スカートを切られた

  • provided courtesy of iTunes

今更なんとなく聴いていたらなんとなくはまって、これまたなんとなく聴き流していたらふと耳に入ったのが

死んでしまいたいほど愚かにもなれず

生き永らえたいほど楽しみでもない

ここ。ちゃんと文字に起こすと重い。でも下半期の私の全てを代弁してくれたのはこの歌詞だった気がします。これ以上でもこれ以下でもないです。まさにこの歌詞の通りです。

 

 

番外編 ①My World - 菊池風磨

別の記事でも書いたし、ここに限らずいろんなところで散々書いた気がするのでもういいかなー…とも思ったけど、風磨担として2023年を振り返るならやはり外せない曲でした。なので番外編として無理矢理の登場。

冷静沈着 何が起こっても俺、動じない

お前のマインドも占拠してく広げてくパイ

覚悟はある これに全額ベット

To be or not to beだろ?まるでハムレット

Call me サラブレッドまた飛び乗るJet

俺の言動一つで騒がすネット

ほぼ歌詞全部じゃん…って感じなんだけど、登場する単語が最近の仕事を連想させるものばかりで。歌い始めてすぐここが聴こえるので、聴いた瞬間これは自分のことを歌っていると気づいたと同時に、これは風磨くんが歌うから意味のある歌だと思いました。

あれは「運」だ?馬鹿には言わせときな

俺のBrainでGain 勝ちは全て価値へと化した

開けるChampagne 二番煎じ散々

モノマネでそのMoneyを得てんじゃ好まねえな

で、やっぱりここです。耳にタコが出来るほど言ってきたけど、俺のBrainでGain』って自分で歌ってくれたのが本当に嬉しかった。「ドッキリ番組でたまたま」とか言うけれど、推されてるだけだとか言われるけれど、そしてそれはある面では正解なのかもしれないけれど、チャンスを勝ち取り全て価値のあるものにしてきたのは、君のその頭脳だってずっと思ってきた。今回作詞は風磨くんではないので、これらの歌詞を通して風磨くんの中に更なる自信が積もってくれることを願うよ。

自信に溢れた言葉が並ぶけど、それと同時にこんなにも反骨精神剥き出しの歌詞はきっと今しか書けない。ここ数年の仕事を連想させる1Aもそう、1Bにある『Follow meすれば退屈させないさ』『俺の側なら連れてくTop of the world』もそう、今の風磨くんが歌うから説得力が生まれる。過去を振り返って歌うのでも、未来の目標として歌うのでもない。風磨くんの今を映し出す言葉としてこの曲が生まれたのが、すごくすごく嬉しかった。ドームで聴いた時に感じた覇王感も、紫のペンライトで染まった景色も忘れたくない。

 

 

去年の日記に”3年前くらいから、好きだと思う歌詞の種類が変わってる。終わりを知っていても永遠を願うとか、夢や神や星座に例えるとか。具体性を持ったものを信じなくなったね。”と書いていて、真理だなと思いました。

でも毎年ここに残している曲はそういう種類の曲ではなくて。曲と自分の間にアイドルを挟んだオタクとして聴くのではなく、もっと自分の心そのものに問いかけてくるようなそんな曲たちを選んでいました。いわゆる就活の年だった2020年に曲数が多く、2023年は少ないどころかプレイリストさえも作っていないのが、心の状態を大きく表しているように思います。

 

今年はどうでしょうか。なんとなく、出会いなおす曲が多いような気がします。

 

 

 

普通を捨てましょう、そして許しましょう。

あけました。2024。

インスタでもいいかなーなんならtumblerでもいいかなーって思ったけどなんとなくここにしました。

 

仕事を辞めまして、無職となりまして。

色々と社会的に普通じゃない条件で働いていましたので、とにかく普通でありたいことを願っていた3年弱だったような気がします。普通なら、これが他だったら、ということがずっと頭の片隅にあって、だから必要以上に社会の枠組みに収まりたかった。あれほど普通を嫌っていた学生時代が嘘のよう。

でも専門卒でちょっと特殊なところに就職した時点で、そしてそれを3年弱で辞めた時点で、もうとっくに世の中がいう普通じゃないんだと思います。

だから社会的に普通じゃなかった会社から離れた今、なおさら、普通であろうとすることを辞めたくて。見失い続けた自分ともう一度再会したい。

自分の中のこうありたいを覆してしまうくらい、見えない誰かに影響されるのはやめたい。ちょっと揺らぎそうになっても、私は私だと思えるくらいの生活にしたい、そして少しずつ死にたい理由を消していきたい、それでも消えない死にたいとは上手く付き合って慣れていきたい。

 

そして早く、2019年と2020年を許してあげたいです。

 

そのために音楽があります。私の好きなアイドルがいます。振り返ればバンドがいます。人生遊戯の歌詞を初めて読んだとき、実は自分自身に重ねた部分があって。『いっそ全部壊して未来投げ出して ゼロになれたらって 負けるつもりか?』って歌詞に叱られたというか、喝をいれてくれたというか、これは2024年を生きるためにSexyZoneがくれたプレゼントだと思ったんです。

 

生きる理由なんてないかな、なんてね、すぐ思っちゃいがちだけど、こうでなくちゃを捨てて、もう少し楽しんで生きてみようね。

多分今年は2019→2020でいう2020に値するので、ぶっちゃけあの2年間と同じ絶望が待っている1年間だと思います。でもあの時ほど全てを失ったわけではないと思うし、きっと終われるから、きっと大丈夫。

信じていられますように

SexyZone ドームツアー2023 Chapter II

主に12/25の感想を残していこうかと。

 

まず真っ先に思い出したのは、メドレーの最後にWith youを持ってきてSexyZoneコールをしたあと、Forever Goldに繋げた流れ。グループ名が変わってしまうからこそ、SexyZoneと言った後にForever Goldという歌詞を聴くと、まるで"名前が変わっても、SexyZoneというグループ名は永遠に輝き続けるよ"と言われているようで、2日間とも泣きました。

そしてそこからSexyZone(曲)につながっていくのも、デビュー曲をすごく大切に扱っているのが伝わってまた泣けました。アリツアでやらなかったからこそ、ドームで歌ってくれるデビュー曲はさらに重みがあって。セトリの流れを見たときに意味がある位置にもってくるあたりが、とても風磨くんらしい。曲そのものに宿っている言葉の力や、曲とグループの物語を重ね合わせたときに生まれる力をすごく信じている人だなあと思います。

 

「永遠なんてないかもしれないけど、永遠を信じられる僕たちでいたいし、いてほしい。時間に縛られることなく、12年間の思い出はみんなの胸の中にあります。」

永遠の輝きと歌ってくれたあとに聞く、風磨くんの「永遠なんてないのかもしれないけど、永遠を信じられる僕達でいたいし、いてほしい。」がまた刺さる。

私たちはもう物分かりがいいから、未来を永遠だと思うことはできなくて。だけど過去を永遠にすることはきっとできる。過ぎた時間は戻らない、ということを味方にしたら。色褪せぬように記憶を愛してあげれば、きっとそれは永遠という名の思い出になる。永遠だと信じた時間があるならば、たとえ過去になろうとその人の中で生き続ける。風磨くんはそれを知っている。そんなふうに今を積み重ねていけば、きっと未来も永遠だと信じることができると、そのために永遠を信じられる僕たちでいたいと、あの言葉の中にはそんな願いが込められていたように見えました。

 

だから最後、時間に縛られることなく思い出は永遠だと残して、timelessをもってきた。今回の裏テーマは永遠だったのだと思います。アリツアでセトリの最後にSad Worldを持ってきたとき、闇も哀しみも痛みも、すべて余すことなく抱きしめて描く人たちなんだと改めて感じたことを覚えています。そんな陰の中にもある愛おしい記憶たちを永遠だと描いたののが、今回のドームツアーだったように感じます。

 

 

ケンティーが挨拶でほぼ毎回「アイドルという名のものに」「アイドルの神様」という言葉を選んでいたように、私たちにとっては言わずもがなだけど、彼ら自身にとってもアイドルとはどんな存在(であるべき)なのかを、考えることが多かったように感じた下半期。

聡ちゃんソロ曲の最後に『雑踏の言葉のPoison浴びても お前が望む道化師 おどけてやろう』という歌詞があるのですが、ドームで歌う姿を見ていたら、これは今の聡ちゃんがアイドルでいる上での覚悟なんだと改めて気付かされて、ハッとさせられました。たしかにアイドルは一つの道化師。でもそれが心と体のバランスを崩すきっかけにもなりかねなくて、実際に聡ちゃんはそれでお休みの期間がありました。そんな聡ちゃんが今、この言葉を歌う重み。あたたかくて、やさしくて、胸がいっぱいになる言葉を的確に届けてくれる聡ちゃんだけど、胸の内にはそんな闘志が燃えているのかと。

モノクロの世界を作るために可能ならばみんなペンライトを消してほしい、という演出が初めて成功した25日の公演。真っ暗なステージの中、切り裂くような鋭く白い照明とスモークに包まれながら登場した姿を見て、鳥肌が立ちました。なかなか成功しなかった公演を見てきたので、聡ちゃんが魅せたかった世界観の一つになれたような気がして、尚更。

 

 

こんな心配なんて無用なくらい、悲しみと向き合えていますように。きみが進めていますように。きみが進む未来が照らされていますように。新しい夢が見れる日々が、その夢が叶う日々が、訪れますように。

祝辞 - ひとりごとの記録

元旦にしがないオタクの小さな願いとしてこのように残していました。昨日なんとなく読み返していたら、ちゃんと叶った一年だったかもしれないと思えて泣きそうになりました。

「この5人を守り続けていかなきゃいけないんだと強く思いました」「一生とは言わない、せめてあともう少しだけ、僕たちと一緒に夢を見てくれませんか」と話していた風磨くんが、今年、「ここにいるみなさんと僕たちで、これからも一緒に夢を見ませんか」「永遠なんてきっとないけれど、永遠お信じられる僕たちでいたい」と話してくれた。時の流れとともにきっと風磨くんの心情も変化していって、私たちに届けてくれる言葉が変わっていったこと。この事実を大切に抱きしめていたいよ。

 

今日でマリちゃんの卒業発表から一年が経ちますね。

去年の卒業も今年の改名も、こんなにも綺麗な花道を用意してくれる人たちを、私はあのバンド以外に見たことがありません。

今更引き合いに出すつもりはないんだけど、でもこうして話題に出してしまう時点でもう違うのかもな。あの時、なかなか気持ちの整理がつかずついていけそうになかった私とは裏腹に、もう気持ちの区切りがついたようにすっきりとした顔で、前だけを見ていたメンバーが正直辛かったと思い出した。決してそれは悪いことではないし、そんなふうに振り返らず先を見据えている姿が彼らの強さであり、また好きな部分でもあったから。ちゃんとファンの気持ちを汲み取ってくれたことも覚えている。コロナ禍だったあの頃、最後のライブは自分たちのためではなく、私たちのために有観客でやりたいと強く主張してくれたことも、2020年3月のインタビューで "自分たちの中では何ヶ月も前から決まっていたからもう先は進めているけど、ファンのみんなはあの日いきなり知らされて今に至るわけだから、そうじゃない人たちがいてもしょうがない" と話してくれたことも、全部覚えている。だから、もう、私の勝手なわがままでしかなかったんだけど、寂しがって欲しかったんだと思います。

だからとは言いませんが、せくしーのみんなが寂しいと涙を流している姿が私にとっては救いでもありました。寂しく思わない方が寂しいよって言ってくれた風磨くんが好きだと思いました。夜が明ける前の闇を描いた時点で思ったけど、誰も置いていくまいと必ず後ろを振り返って、哀しみに寄り添ってくれる。すぐに立ち上がれない人の存在を知ってくれている。

 

 

風磨くんを好きになった時、絶対も永遠も簡単にあげられない、風磨くんに対してそういうふうに思わない、と決めた話は私の中で何度もしてきました。一生なんて無理だから、気持ちは変わっていくものだから。どんなに好きでもいつかは必ず終わりが来るのだと、そんな泡沫でもいいから夢を見たいと、軽いようでかなり重たい感情を抱いて風磨担になりました。

 

3年半前の春、"勘違いだとわかっていながらも信じていた永遠" と残したあの日から、ずっと永遠なんてないって思っていたし、今も思っているよ。

それでも永遠を信じたいと話したきみを見て、私はあれから永遠を信じていただろうかと思った。

 

無いと思うことと、それでも信じることは別物で。永遠であろうとしてくれるきみに対して、勘違いでもいいから再び永遠を信じること。それがきみを好きでいる時間の中で影響されて産まれた約束なら、騙されていたいと思うよ。

 

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神様にできない

全然意識していなかったけど丸々3ヶ月も書かなかったの初めてだった。まだ体感9月なのに11月になっちゃったし、5年ぶりくらいにちゃんと書こうと再開した日記はまともに書けてないし、手帳を開くことも一気に減って、なんというか自分と向き合うことと逃げていると言うよりは、そもそも全てにおいて考えるということをやめてしまっている。気持ちを書き留めておくことをずっと放棄していて、向き合う以前の話のような。

 

なんか、どうしたら戻るかなー。

 

10月は聡ちゃんの個展に行ったり、キリエのうたが公開されたり、せくしーたちがグループ名を変えることを発表したり、ドームツアーの当落があって福岡が3名義で重複したり…、あとゼイチョーが始まった。

 

でもこの2ヶ月近く、どこか自分を見失ったような感覚にある理由はなんとなくわかってて、しょせを好きになってJO1ばかり聴いたり見たりしているからなんですよね。そうでしょう。好きになる瞬間はいつも躊躇いがちなのはお決まりだけど、しょせはそれが凄く長い気がするし、なんなら今も続いてる気がする。いつも誰かのオタクになる時は、わかりやすく言えば自分の中で「よし好きになろう!」というか、自分の中で一回大きくギアを入れるタイミングがあって。めっちゃ体育会系みたいだけど、ゆるく好きになるところから始まるから、どこかで切り替える瞬間を作らないと自分の中で始まらないというか。自分で書いてて儀式みたいじゃんって思ったけど、アイドルの概念が神であり信仰のようだと捉えている部分があるのであながち間違っていなのかも。

そういう瞬間が来ないというよりは、作らないように、踏み込まないようにしている気がする。うーん、好きになったことを認められないと表現する方が正しいかも。何も減るものなんてないのに推しだとなかなか認められないのはどうして。気になったはじめの頃に、「これは好きになったら界隈ごと移動する可能性あるな、それは嫌だなあずっとジャニオタでいたい」って思ったのは確かで、簡単に言えば今まで好きだったものが終わってしまいそうな怖さというか。その気持ちは北斗くんを好きになる時もあったし、多かれ少なかれ新しいものを好きになる時には抱く感情だから珍しくないはずが、これが界隈が変わるとなるとまた別なんだろうか。ドロスから二宮くんに移るときと似ているのかも。あれはなんか特例だったけど。

でも今回も2ヶ月前の今頃といったらジャニーズが会見をして、これから色々なことが大きく変わるんだなっていうのがわかったし、とにかく混沌としていた時で。自分で情報の取捨選択ができないと無条件に傷つけられるような状況で、変な話このままジャニーズごと嫌いになってしまうんじゃないかとも思った。こんな理由、ではないけれど、自分が所属タレントを好きな気持ちとは少し離れた理由で嫌いになるなんて絶対に嫌なのに、そうなってしまいそうなくらいやっぱり辛くて。なんとなく直感で、このまま今の騒ぎを見続けていたら自分の心がやばいかもって思った。

だから少しだけ距離を置こうと思ったその先に、しょせがいて。これはこれでちょっと危ない出会い方だなあとも思った。風磨くんがそうであるように、逃げ道になってしまう=運命とか神様だと思いたくなる理由になってしまうから。そうなると本当に界隈ごと戻れなくなってしまうし、辛かったけど事務所が袋叩きにあっている時だったからこそ、罪の無い自担たちを守るために応援したい気持ちがあって、彼らを好きでい続けたいと意地になっていた部分もあったんだろうな。特にせくしーたちはシングル発売を控えていたからなおさら。

「いつか好きじゃなくなる時が絶対に来るってわかった上で好きでいる」って散々言って応援しているくせに、執着しないようにいつかは終わりがくると構えて好きになったのに、ほら、結局できない。囚われの身にしているのは自分。ある日に”運命と決めたのは君だけ”と残したけれど、唯一を言い換えた呼び名に彼だけを当てはめ続けてきた時点で、本当はもう無理だったのでは。

そういう意地が邪魔をして、元から好きでいたものたちも一緒に追いかけようなんていう傲慢さが、好きを認められないままここまで来ちゃった理由の一つのような気がする。最推しにならなくても、一回どこかで全てを捨てる勢いでしっかり好きにならないと認める域に達さないのは自分でよくわかってるはずなのに。

 

それとは別軸で、私はしょせのことをアイドルとして見れていないのだと最近気づいた。アイドルとして見ることを申し訳ないと思う、という方が正しいか。いろんな動画を身漁ったり最近のレポを読んだりしても、どこか沸ききれないというか、遠巻きに見ている感覚が抜けない(そしてそれがちゃんと好きになれないに繋がる)のは多分これが理由なのだろう。

こんな感覚は初めてで、だからこそ頭の片隅でずっと引っかかっていた。ステージに立つ人になりたくてオーディションを受けたのは当然として、その先が今のようなアイドルだったのだろうかと。雑誌や動画の企画にせよファンサにせよ、アイドルらしい解答を求められている瞬間を見るたびに、無理やりアイドルの鎧を着させてしまっていないかと考えてしまう。

私が思うにアイドルというのは、数あるアーティストの中でも応援スタイルがかなり特殊だと捉えている。最近は推し活ブーム(大嫌いな言葉)もあってアイドルに限った話ではなくなっているかもしれないけど、本人の意思や性格とは別で、ファンの理想を託すことが許されている、つまりそういったものを背負う覚悟をしてくれている存在。

私たちが信じている絶対は、信じていたいことだけをかき集めてできた実態のないものであること、 なにより、 私たちが見ているステージ上に立つ彼らは、自分の理想や概念で形取られた 虚像を纏った生身の人間である ということを、3次元を推す身として忘れてはいけないのだと再度思った

3次元を推す - ひとりごとの記録

息をして、血が流れて、絶対に生きている存在なのに、私たちは彼らの実態を掴むことができない。同時に彼らも、彼らだけの呼吸では壇上の存在にはなれない。私たちの信仰にも近い彼らへの眼差しがあって、それらが交わった瞬間にアイドルとしての光が生まれる。 私たちの中にある数々の理想、解釈、願い、そういったものが彼らのアイドルを形作っている。言葉にしがたい実像のないもので、彼らは存在している。

アイドルは虚像である、という持論 - ひとりごとの記録

結局、推しというのはただの偶像に過ぎなくて。 歌を通して、お芝居を通して、インタビューを通して、推しのことを知ったとしても、それはあくまで「情報」を受け取っているだけ。そしてオタクはその情報を、そのオタクなりの解釈で噛み砕いて自分に取り込んでいくんです。きっと。 だからオタクそれぞれで推しに対する解釈というのは微妙に違くて、自分の解釈というフィルターをかけて推しを見ている。 言葉だけ取るとかなり残酷だけど、私はそれこそが推しでありオタクの醍醐味だと思っています。対象物が、その理想を当てはめる推しと言う名の偶像だから許される。

命をかけるようにオタクをするということ - ひとりごとの記録

過去に何度も残しているように、アイドルはその人間の実像よりも私たちファンの理想を背負って生きてくれている虚像だと私は思い続けていて。ステージに立つ瞬間がアイドルに生まれ変わる瞬間だから神様だと思っているし、表に出ている姿だけを信じている。

でもそれって、とても命を消費させる行為だとも思う。応援しながらも「ありがとう、そしてごめんね」という気持ちが自担に付き纏ってしまうのは、彼らの命を食べている自覚があるから。それでもそれを承知で自らアイドルを選択してくれているのだから、こちらも胸を張って応援するのが筋なのだという結論に今は落ち着いているけれど。

そういった信仰に誓い眼差しや、一方的な理想の押し付けのようなアイドルの鎧をしょせに着せてしまっていいのかと、心配というよりも罪のような申し訳なさがずっと拭えないでいる。

じゃあなぜジャニーズに所属していたアイドルたちにはそういった気持ちを抱かなかったのか。これは私の中にある多少の偏見が関わっているのだけれど、やっぱりアイドルといったらジャニーズ、日本のアイドル界のど真ん中にいたのはジャニーズみたいな認識があって(自分がジャニオタ故の偏見だとも思っている)。だからこそジャニーズにいた人達には「絶対にアイドルになりたい」というアイドルに対して強烈なこだわりを持っているように感じていて。

パフォーマーやアーティストになりたいというこだわりではなくて、”アイドル”になりたいというこだわりの話。ステージに立ちたいと思った時多くの選択肢がある中で、アイドルになる事務所を幼少期から選んでいる事実が、彼らをアイドルとして見て大丈夫という心の免罪符に無意識のうちになっていたのかもしれない。

ただこれは、決してジャニーズでないしょせを卑下している訳ではない。応援しながらも「ありがとう、そしてごめんね」という気持ちが自担に付き纏ってしまうのは、彼らの命を食べている自覚があるから。それでもそれを承知で自らアイドルを選択してくれているのだから、こちらも胸を張って応援するのが筋なのだと落ち着いているけれど。と前述しているように、しょせも自分で今の環境を選んでくれているのだから、ならばその道を真っ直ぐに応援してあげるのが彼への報いになるのではないかと思う。

 

もう一度言うように、ふたつを比べたりどちらかを悪く言いたい訳ではなく、アイドルに対して私の思考のコンプレックスの原因を紐解きたかっただけ。結局どういうふうに捉えても生身の人間を応援するというのは、まともになろうとすればするほど簡単ではなくて、ステージ上に立つ人間に対して命を食べている申し訳なさが同居してしまうのも避けられないのだと。

 

まあでも、きっと全部全部私の要らぬ心配です。

(あ、好きになってしまう)が(好き)よりも甘い気がしてずっと噛んでる

っていうアイドル短歌を9/24に見つけた時、自分のことを詠まれているのかと思ってびっくりした。落っこちる瞬間が一番楽しいんだよね。あとは自分の気持ち次第なんだと思いますよ。知りたいって思っているのは本当。半年後あたりの自分に期待しましょう。

 

とりあえず祥生くんって呼べるようになりたいです。照れてる時点でまだ全然初心な証拠!