手帳に書こうかな〜こっちに書こうかな〜どうしよう…とギリギリまで悩んだ挙句、はてなブログに書くことにしました。
手帳に日記として残してもよかったかもしれないんだけど、なんとなく、こっちに。
最近、Fさんの『20代で得た知見』という本を読んでいます。
さまざまなことが書いてあるけど、多分共通しているのは"心が動いた瞬間を見逃すな"ということ。
そして逆を言えば、人は心が動いた瞬間しか記憶に残らないのかもしれないと思った。
心が動いた瞬間を集めて、それが自分の中のある一定数を超えた時、人は"絶対"を感じるのではないかと、私は思うのです。
自分自身がそういう感覚で生きてきたから。
新しい音楽に出会う時がいつもそうでした。
聴き始めるきっかけは些細なことだとしても、そこから揺るがない好きを確信する瞬間は、なにか心が動くきっかけがいつもあった。
そしてそんな瞬間を見つけたら、逃すまいと好きを閉じ込めるために、ちゃんと沼落ちするんです。
言葉にするとつまらないけど、システム的に書くとそんな感じ。
SixTONESの曲を聴いてると、泣きそうになる時があります。
得体の知れない懐かしさを感じて、気持ちがぐらっとして、目頭が熱くなる。
好きになった経緯を何一つここには書いていないけど2ヶ月ほど前から聴いていて、その時から懐かしさを感じていました。
なんとなく、[Alexandros]と似た雰囲気を感じたからです。
ギラギラした格好良さ、誰が何と言おうと俺たちが一番だと言わんばかりの漂う王者感、自分達の格好良さを自負しているところ。
あとは、好きになった時の自分の気持ち。
この人たちめっちゃ格好いいんだよって誰かに自慢したくなる感覚とか、この人たちなら絶対上目指せるでしょっていう、自分の中に生まれる根拠のない自信とか。
とにかく、ドロスを好きになった時と感覚が似てて。
最初はそこまで意識してなかったけど、最近知れば知るほど勝手な共通点を見つけては、重ね合わせてしまってる。
[Alexandros]からサトヤスが勇退することを発表してから、もう2年が経った。
壊れたと思ったあの日から2年間、無意識のうちにドロスの代わりになるような存在を探してた。
自分の気持ちの基準値にドロスがいて、新しいものを好きになる時はいつも代わりとなる存在なのか、そうじゃないのかを考えてた。
新しく何かを好きになるたびに、本物でありますようにと願ってきたのは、そういう気持ちがあったから。
言葉にするとかなり残酷だと思う。
代わりかどうかを基準にして好きかどうかを判断してる時点でそもそも違うじゃん、とも思ってきた。そんなふうに新しいものを好きになりたくないのに、こびりついて絶対に思考の片隅にいるドロスがちょっと恨めしく思えた。
でも残酷なのを認めた上で話を進めると。
新しいものと出会うたびに、あれも違うこれも違うとなって辿り着いた先の今、SixTONESを好きになったのだとしたら、それはなんだか大正解のように思えてしまう。
代わりかどうかを基準に好きになりたくない、っていう気持ちとは矛盾してるけど、ドロスと似た何かを感じているこの感覚は嘘じゃない気がして。
似てるから好き、とかじゃなくて。
似てるからこれこそが本物だと決めたのとは違くて。
彼らの雰囲気がドロスと似ているのではなくて、今SixTONESに抱いてる私の好きが、ドロスを好きになった時の好きと似ている。
いつも雰囲気が似てるかどうかだけだったのに、自分の気持ちがあの頃と似ていると思えたのは初めてだったから。
代わりを探してるから、
代わりなんていないよになって、
今、
代わりなんかじゃない本物を見つけたのかもしれないと。
心が動く瞬間をかき集めていて思いました。
冒頭で、"それが自分の中のある一定数を超えた時、絶対になると思っている"と書きました。その時ももう、遠くはないかもしれないとぼんやり考えたりしています。
言葉はいくらでも自分の気持ちを操れるので、自分がそう思いたいだけなのかもしれませんが。
今の私の記録として、ここに残そうと思います。