まさかまさかの展開で二宮くんを好きになった時、YouTubeに公開されたライブ映像を見ながら
「この人のこと、多分一生好きでいるんだろうな」
と、なんの根拠もないのに確信したことを覚えています。どうしてそう思ったのか、今でも理由はわかりません。直感でした。
推しと出会う時はいつも突然で、青天の霹靂。
でもあれほどまでに、推しと出会う自分を客観視した状態で、直感だということを実感しながら「出会ってしまった」と思った瞬間は初めてでした。
そうして二宮くんを好きになっていくうちに、二宮くんの沼に落ちていく感覚にどこか既視感を覚えました。
私はセカオワをきっかけに音楽を好きになって、その延長線上に二宮くんを好きになる日も存在しているのですが、
そう、二宮くんを好きになった時の感覚が、
セカオワを好きになってボーカルの深瀬さんと出会った時の感覚と、すごく似ていたんです。
今まで持っていた自分の価値観や世界がどんどん壊されていって、自分にとっての"普通"がその人の"普通"によって覆されていく感覚。
セカオワをきっかけに音楽を好きになって、私はCDや音楽雑誌を買う・ライブに行くという新しい文化に触れるようになりました。
その点二宮くんに関しては、映画やドラマに出ている人だったので初めてちゃんと『芝居もの』を見るようになりました。今までライブにしか行ってこなかった私にとってこれはかなり新鮮でした。娯楽の幅を広げてくれた。
そしてなにより、バンド一筋だった私にアイドルという文化を教えてくれた人でした。
私に今まで触れてこなかった文化を教えてくれたという意味で、なんだかどこか似ていました。
でもこれに関してはあくまで私の中にある感覚の話なので、他の人と共有することは難しい。だからひとりで個人的に思う程度で、特に共通点を感じる!と騒ぎ立てる感じではありませんでした。
だけどもっと掘り下げて好きになっていくうちに、もう一つ思います。
このふたり、考え方がどこか似てるぞ…?と。
二宮くんの発言を見聞きする度にたびたび思っていたことですが、「共感できる」「共感できない」ではなくて、二宮くんの発言には「ほお、そういう考えもあるのか」と自分の持つ世界をグイッと広げてくれる感じがありました。
私にはない考え方を持っていて、どんなテーマで話をしてもいつも気付かされることが多い。物事を見る側面が違う、というとわかりやすいでしょうか。同じことを話したとしても見る部分が違うから、新鮮な考え方を知ることができる。
そして私はこれを同じように深瀬さんにも感じていて。だから二宮くんの考え方が新鮮でありながら、自分にはない考えを広げてくれる感じがどこか懐かしくもありました。深瀬さんを好きになった時もこんな感じだったなあ、と。
例えば深瀬さんでいうと、
水槽にいる魚を「閉じ込められていてかわいそう」と思う感覚
とか
不可能を証明することは可能を証明することよりも難しい
という捉え方とか
行き過ぎた正義は悪になりかねない
という考え方とか
みんなとは間反対から物事を見るゆえに生まれる思考、価値観があって
同じように二宮くんでいうと、
雨を好きだと思う理由を
"世の中に存在する物のほとんどが横に動く物だけど、雨は縦に動くから見える世界に新鮮味があるから"
と挙げていたり、
志村どうぶつ園で生後6日の子犬を見た時に
"まだ知らない曜日があるって素敵だね"
という感想を漏らしていたり、
人は相手の全てを知ろうとするけど、知らないところがあった方が面白い
という考えを持っていたりと、
「えー!そんなふうに考えたことなかった!」と思うような捉え方をしてることが多々あるんです。
そういう意味で、序盤に書いた
"今まで持っていた自分の価値観や世界がどんどん壊されていって、自分にとっての"普通"がその人の"普通"によって覆されていく"
感覚が生まれてくる。
そうやってぼんやりと似てるな〜と思っていたのが、ふたりの思考が似ていることに対して絶対的な確信を抱く瞬間がありました。
セカオワの『不死鳥』という曲の歌詞の一部
永遠なんていらないから
終わりがくれる今を愛したいの
二宮くんのソロ曲『1992*4##111』という歌詞の一部
永遠なんて存在しないものだから。
今を全力で愛せるんだ。
2曲とも作詞は本人です。
1992*4##111のこの部分の歌詞を聴いた時、反射的に不死鳥のあの部分の歌詞が浮かびました。
言い回しは少し違うけど2つに共通しているのは、終わりがあるからこそ今を愛すことができるという理論。
私が思うにおそらく深瀬さんは、物事の始まりや終わりに対して自分なりの価値観というものを人一倍強く持っているし、”始まったものはやがていつか終わる”という考えを持っている人なので、死に対しても割とフラットに付き合っている人のような気がします。
だからこそ”終わりは始まり”という考えが深瀬さんの中にはあって、それがやがて”世界の終わりから始めよう”という意味をもって『SEKAI NO OWARI』なんていうバンド名が誕生するわけであって。
私は深瀬さんの中にある様々な考え方に影響を受けたし、”私にとっての普通”を覆されていったけれど、この”始まりと終わり”に対する考え方が実は一番お気に入りだったりします。
そしてそういう考え方が、1992*4##111の歌詞を通して二宮くんにもあると見え隠れした時、ふたりの思考が似ているという確信が今までのどの瞬間よりも上がったし、もはや上がったというよりか絶対に変わった瞬間でした。
好きになって内面を知っていく中で こういった共通点を見つけていくうちに、自分が二宮くんを好きになった理由がなんとなくわかった気がしました。
好きになる瞬間から、
惹かれていく最中、
そして思考まで。
自分にしかわからない共通点だけど、”深瀬さんと似ている”ということが私にとってものすごく重要で、意味のあることでした。
だって、私にとって全ての始まりである深瀬さんと似ている人なんて、そんなの正解でしかない。思いがけない出会い方をしたっておかしくない。そしてそれが、自分の今までを覆してしまう人であってもおかしくない。
そう考えると、あの時
「この人のこと、多分一生好きでいるんだろうな」
と直感で思ったことも納得がいきます。直感ってすげえ。
そしてこれは二宮くんを好きになってから気づいたこと。好きになる瞬間はこんなの何も知りません。なにより、そういう人を自ら引き寄せてしまうことに驚きました。
あくまでもこれは私の感覚の話なので 全く理解出来ない人もいるかもしれないし、思い込みだと言われても構いません。でも私はその共通点に運命を感じていたい。オタクはそんなもんです。
複数のオタクをしているみなさん、
その推し同士に共通点を感じたことはありますか?
というお話でした。