ひとりごとの記録

主に音楽、アイドル、菊池風磨くんのオタクのひとりごと。

恋焦がれていた理由

年も明けて早6日。もう少しでドロスの熊本ライブから一年が経つんだなあと思いを馳せておりました。

 

この熊本が、私が見た最後の[Alexandros]です。

 

なんとこの日から一度も見れないまま一年が経とうとしているということです。改めてコロナを憎む。

 

こんな事になるなら、と今更思っても後悔先に立たずなのですが、私はあの日の熊本をもう少し大切に扱ってあげたかったなと少しばかり思ったりします。

700のキャパで見れることも VIPと鍵打って珍しい曲たくさんのセットリストも、そんなよくある事じゃないなんて十分わかっていたからこそ、「ちゃんと」見たいと思っていて、気持ちがある状態で見なきゃいけないとちゃんとわかっていた。

 

はずなのに、それがうまく出来なかった。

 

あの日の私は胡座かいてた部分があって、「きっとまたすぐ会えるんだろう」なんて心のどこかで思って思っていたんですよね、きっと。絶対がある未来なんて存在しないのに。次があるなんて誰も保証できないのに。そしてそれを私は痛いほどわかっていたはずなのに。叱ってやりたい。

私は常々、「今日が最後かもしれない」そんな気持ちでライブを見てきました。毎回そんな心持ちで見てたもんだから、まるで「今しかない」という呪いにかけられた人がずっと何かに追われるかのようにライブに行き続けてきた。

それなのにその気持ちがこの熊本に限って薄れていたという。大事な時に見失ってしまうのが自分らしいというかなんというか。

 

この時の私は二宮くんを好きになってすぐの頃で、自分の中にある"ドロスに捧げてきた好き"が、少しずつ二宮くんに移ろいでいた頃でもありました。

私の中の好きという感情が、メリメリと二宮くんに侵食されるような感じ。

だからすごく焦ってて、たとえ二宮くんを好きになったとしても、なんとかしてでもドロスを好きな気持ちだけは無くしちゃいけない!とめちゃくちゃ必死だった。

けど抵抗虚しく。私の中に生まれた二宮くんへの"好き"は日を追うことに増していって、言ってしまえばこの熊本の日も好きの気持ちは半分二宮くんに持っていかれていたし、私にとって今一番好きな人はいったい誰?とそれさえもわからなくなってしまっていた状況でした。

 

ドロスはもちろん好きだけど、少しずつ二宮くんに気持ちが変わっていってるのも本当。もうドロスが一番好きと言えるような気持ちでもないし、だからといって二宮くんが一番かと言ったらそういう感じでもない。みたいな。

 

でもそういう"二宮くんへの好き"に負けたとしても、その時リアルタイムで超好きだった人が二宮くんだったとしても、この日この時くらいはちゃんと噛み締めて見て欲しかったと、今めちゃくちゃ思います。わからなくもないんだけど。

 

最後に見たドロスに少しばかりの後悔があるのはこのせいです。今という瞬間を噛み締めて見ることができなかった後悔。そうする事が出来なかった自分に対する反省。この熊本をもっと心に焼き付けていれば、今の心持ちも変わってきたような気がして。

だから悲しいかな、あまり記憶に残っていないんだよね。思い出せるんだけど自分の記憶を見ているのではなくて、誰か人の記憶を見ているような気持ちになる。大切にしないと大切な存在にはならないというのは本当なんだなあと、遠くの方でぼんやり実感したのを覚えてる。

 

 

終始ずっと地に足つかない感覚で見てて、どこか遠巻きに自分のことを「私やっぱりドロス好きなんだなあ、そっかあ」って思う感じ。

だから頭だけは妙に冷静でした。どんなに近くに来られても、「近い!」ってちゃんとそれを認識出来たくらいには。でもやっぱりそれ以上は思えないのが相変わらずで、そうやってどんなに冷静になれたとしてもそこから「キャー!!」って感情が振り切ることがこの日も出来なかった。

 

私はいつもそうでした。いつも目の前に来られると固まってしまったし、どんなに近くにいてもその距離感に実感を持つことが出来なかった。

なんだかまるで彼らとステージの間には見えない幕が引かれているように、そうやってステージと客席の距離が縮んでも、私は彼らを身近に思うことはできなかった。

 

思えばそれが彼らの魅力だったんだと、今になってわかります。"手の届かない格好よさ"というものが、私が恋焦がれるように彼らにひどく魅力を感じていた理由でした。

 

いつも一歩届かないところにいて、どこか近づけない格好よさがあって、それが光り輝く理由だった。

そういう"孤高のロックスターたるや"というものを私は常に彼らから感じていて、だからその"届かない格好よさ"に何度も涙が出たし、誇らしくもあったし、どんなに近くに来られてもいつも信じられなくて、彼らの存在自体が儚かった。

でも、もし彼らを身近に感じる事が出来ていたら、私はきっとここまで好きになることはなかったでしょう。

 

何度ももどかしさと切なさを覚えた距離感だったけど、私はそこに一瞬の煌めきを感じて夢を見たし、何より私の"好き"は全てそこに詰まってた。

 

 

 

──と、熊本のライブに想いを馳せていたら気付いた夜でした。

 

 

あと2週間で"[Alexandros]10周年"の幕が閉じますね。

つまりサトヤスがいる4人の[Alexandros]も残り2週間というわけです。

1/19.20と控えたライブの開催はもはや絶望的なので、きっと泊まる意味もなくなってしまったホテルで一人泣きながら配信を見るんだろうなというところまで予想はついているのですが、

 

どんな形になっても、どんな方に転んでも、私は迎えた今を真正面から受け入れたいと思っています。やっとそこまで思えるようになりました。

もちろん向き合うことで痛みは伴うけれど、逆を言えば痛みなしでは向き合えない。痛みを感じることも含めて向き合うと言えるような気がするから。

逃げないで、目を背けないで、今のドロスと向き合って、11年目の[Alexandros]にしがみついていけたらいいなと思うのです。