ひとりごとの記録

主に音楽、アイドル、菊池風磨くんのオタクのひとりごと。

Summer Rideと君がいた夏に…の親和性について

ザ・ハイライトに入ってる『Summer Ride』という曲を初めて聴いた時から、アルバムPAGESに入ってる『君がいた夏に…』という曲と、歌詞の世界観が似てるな…ってずっと思ってきました。だから2曲続けて聴くことも多かったし、そういうプレイリストも作ってた。

 

そしたらコンサートでしっかり2曲セットでセトリ入りしていて、Summer Rideが終わった後に君がいた夏に…のイントロが聴こえた瞬間、嬉しくて嬉しくて変な声が出そうになりました。

ましてや3年半前に出したアルバムのリード曲でもない曲なのに。たしかにタイトルに夏というワードは入っているから夏コンでやってもおかしくないけど、でもそれ以外にも曲はたくさんあるし…ってやるわけないよな〜ね〜菊池P〜って思ってたら、ふまニキ、セトリに入れてきました。固い握手を交わしたい。

 

Summer Rideは付き合っている男女2人のすれ違いがうまく解消できないまま、別れてしまった過去を夏になると思い出してしまう男性の曲。女性の方が男性を振った感じで、男性はかなり未練がある。

だから『あの日の海まで君を連れて行けるよ』ってきっと2人にとって何か思い出の地である海に最後に行こうとするし、『忘れ物をした きっとこれがlast chance まだ間に合うなら』って最後の最後まで別れずにあの頃に戻れる方法を模索してる。

けど結局別れちゃって、最後は『君が好きさ どこまで行こうとも忘れたりはしないからね 愛してる 今もまだ そんな季節』って、前に進めないまま、今でも彼女のことを思い続けていることが伝わる歌詞になってる。

 

そして続く『君がいた夏に…』は、登場人物がSummer Rideと同じだとするならば、Summer Rideの時間軸からさらに数年経った世界で、まだ彼女こことを忘れられないでいる、彼の歌。

いや引きずりすぎやんって書いてて思ったけど、引きずってしまうというよりかは毎年夏になると思い出してしまう感じなのかな。

 

でもでもでも、君がいた夏に…を初めて聴いた時私が浮かんだこの曲の物語は、一夏の恋と称して禁断の恋愛をしてしまった男女の曲だと思ったんですね。

というのも、Bメロで

夏の終わりは恋の終わり? 

そんなはずないと君と二人?

見つめ合いキスを重ねたのに

何故だか今日も僕は一人…

っていう歌詞があって、『夏の終わりは恋の終わり』が疑問符ついていたとしても一夏の恋を連想するワードに聴こえるし、そんなずないとキスを重ねたのに結局一人なところが=別れたという解釈になるから、そこでもやっぱり一夏の恋なのかなあと思ったわけです。

 

だけどSummer Rideから繋がっていると考えたいのなら、また違う解釈になるわけで。

Summer Rideで別れた季節が夏、だから彼は夏になるたびに思い出してしまう、と解釈するならば、彼にとって夏の終わりは恋の終わりという記憶になってしまう。

そうすると一夏の恋を歌っている歌詞ではなくて、別れたあの夏の記憶を思い出している歌詞になる。

 

捉え方に正解はないので別にどっちで解釈しても間違いなんてないと思うけど、2曲続くことで違うストーリーが生まれるんだ…と改めて歌詞の奥深さに感嘆した瞬間でした。

 

Summer Rideから繋がっている解釈でさらに歌詞を読んでいくと、

『変わり始めた風の色』

で季節が夏に移ろぐと同時に、

『君は今頃何してるの?』

ともう会えない彼女のことを思い出しては、想ってしまう。

『一人きりになって戻りたい 君がいた夏に』

『夏の風吹くたびに君を思い出して』

なんて歌詞たちはもう説明もいらないくらい、彼がどれだけまだ彼女のことを好きでいるかが伝わる。

 

そして一つ引っかかるのが、上記では触れなかった

君の為に僕が背を向けた 君といた夏

という歌詞。これはSummer Ride関係なく初めて聴いた時からずっと引っかかっていた歌詞で、この曲を一夏の恋と捉えていた頃にこう解釈していたりする。

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ここでは一文字違うだけで生まれるニュアンスの違いについて考えてるけど、Summer Rideと繋げた時にもっと引っかかったのが、『君の為に背を向けた』という部分。

『君の為に』ってさ…、2人の気持ちがお互い冷めちゃったから別れたのではなく、完全に彼女の気持ちを優先して別れを決意したように聴こえてしまうんですよ…

 

そういう捉え方でSummer Rideの歌詞に戻ると、

誰かに似た君じゃなくて

君らしくしている君が好きだよ

あぁどうしてもっと早く気づいたら

と1番Bメロで、彼が彼女に対して反省や後悔の念を表している歌詞があって。ここが綻びの瞬間だったのかもしれないな…と思うわけです。

同じく2番Bメロでは

誰かに聞いた僕の噂は

僕の口から伝わって欲しかったよ

と歌われていて、追い打ちをかけるように彼女を不安にさせる原因が何かあったように聴こえる。

 

彼に好かれるためにと頑張っていたら自分がわからなくなってしまった彼女に、彼を信じられなくなってしまう何か噂を聞いてしまって、彼女の中で「別れる」という選択肢が生まれてくる。

 

彼女ばっかりに考えさせて背負い込ませてしまった反省の念、さらにはこのまま一緒にいたとしても、彼女のことを幸せにできる自信がなくなってしまった彼の気持ちから、また彼女の幸せを願うためにも、彼女を強く引き留めることが出来なかったのかなあ…と思います。

 

 

君がいた夏に…で布を使った演出があったんだけど、それがまた素晴らしくて。こういう演出の基盤を我が自担の風磨くんが考えているのかと思うと、さらに愛おしくなります。

多くの人がバラエティの印象を持っている中、そんな彼を私はアイドルとして好きでいるという事実が、定期的に嬉しくなってしまう。

バラエティの人、なんか面白そうな人、陽キャっぽい人、そういう面しか知らないかもしれないけど、私は彼のアイドルとしての格好良さを知っているし、あなた達にはわからない風磨くんの格好良さを知っているんです、良いでしょう?と誰に対してなのかもわからない自慢をしたくなってしまう。

 

一年前の沼落ち寸前の時は、彼のことをアイドルとして見たことがないな…と戸惑っていたのに、今では真逆の気持ちを抱いている。人は変わるものですね。面白い。

 

風磨くんがこの2曲にどこまで繋がりを感じて セットで歌ったのかはわかりませんが、読み込めば読み込むほど親和性を感じます。

 

SZ10THのドキュメンタリーで、チェック中の会場に入りながら「ここが俺の仕事場です😊」と嬉しそうに話していた姿を見た時、なんだか思いがけないところでアイドルの風磨くんを過剰摂取してしまった気がして、こっちまで嬉しくなったことを覚えてる。

 

風磨くんがセクゾの演出担当なのは前々から知っていたけれど、自担が演出を担うってこんなに嬉しいものなんだ…と昨日コンサートに行って改めて強く強く感じました。

 

1stアルバムのインタビューで、summaryの演出を通して「どんなステージでも、どんな演出も自分たち次第でいろんな形にできる」って話していたのも、すごく大好きな風磨くんで。この時まだ演出とかやってない時期なのにそういう言葉が出てくる。無自覚のうちに、風磨くんの中にプロデュース力が芽生えていたのかもしれない。いい意味であの頃から変わっていないんだろうな、と思いました。

 

 

結局風磨くんの話になっちゃった!

今日の間に何回感想を書いているんだろうか。

 

「アリーナ規模ギリギリのセットと演出をやってる」っていう言葉を思い出すたびに、風磨くんの頭の中はもうドーム規模の演出なんだろうなあと考えてしまう。

風磨くんのやりたいと願うことが、掴みたいと思っている未来が、数年後も何年経っても、何ひとつ零れ落ちることなく風磨くんの手のひらの中にありますように。