ひとりごとの記録

主に音楽、アイドル、菊池風磨くんのオタクのひとりごと。

限界オタク理論

魔法が解けていくのを感じてる。

余韻がほどけていくこの感じが切ない。

 

"どうしようもできないくらいの好き"はただ辛くなるだけだから、そうはなりたくない思ってたし、"何があってもこの人たちが一番なんだ"っていう絶対なんて思わない、一生とか永遠なんて信じこまないって、好きになった時から固く胸に誓っていたことだったのに。

あの頃みたいに永遠を願っている自分がいて、信じたい自分がいて、あともう一歩でそこに行ってしまいそうで。必死に今の場所に留まっている自分を感じて、泣いてる。

 

趣味を自分の身体の一部のように好きになってしまうのは、もはや信仰に近い。揺るがないものとして自分の中に存在し続けてくれるけど、それはやがて依存になる。他のものが見えなくなる。選択肢が狭まっていく。

でもいつか、そうやって信じ続けていたものが自分の中で信じられなくなってしまった時、元通りにできないくらい全てが崩れてボロボロになる。

 

信じてきたものがすべて壊れていく感覚をトラウマ級に覚えていて、もう、絶対に、そんなふうに何かを好きになることはしたくないって、2年前くらいに静かに心に決めたはずだったんだけど。

 

 

新しく何かを好きになりそうなとき必ず、

 

世の中の事象に永遠なんてないことは十分わかっているからこそ、錯覚でもいいからそれを覆してくれるような存在を、無意識のうちに探していた自分がいて。

かつての私は[Alexandros]を好きだった時の気持ちを、『勘違いと分かっていながらも信じていた永遠』と表現していたんだけど、やっぱり今でもそういう、泡沫の魔法でもいいから とそんな存在を探している自分がいて、なんだかもう苦笑い。

 

 

風磨くんを好きになった本当にはじめの頃、私は個人的な想いとして、彼に異常なまでの期待を捧げていたことを覚えてる。

好きになった気持ちが嘘じゃないことを願う、って定期的に書き残してるし、どうかこれが本物でありますように、私にとってそんな存在でありますようにって、数え切れないくらい願ってる。

 

 

元々自分が限界オタク気質であることを自覚してるから、ずっと好きでいたら嫌でもこうなってしまうことはわかっていたけれど、死にたくなるまでの好きなんてもう抱きたくなくて、避けてきた。

会える会えないとか、そういう、現場に行かないと消化できないレベルの気持ちはもう持ちたくない。与えてくれるものだけで凄く楽しいし本当に幸せだから、強欲になんかなりたくないのにな。

 

いつまで好きになってすぐの気持ちを抱いていられるかなって思ってる。きっとまだ続いてる。でも、そういう気持ちはずっと続くものではないこともちゃんと知っている。

無理な話かもしれないけど、いつまでも素直なファンでいたいなと思ってしまう。できる限り最初の純粋な気持ちの期間を引き伸ばしていたいし、忘れないでいたい。

 

一番前の席で風磨くんを見てしまった後、寂しさを感じた自分に気付いて、これはもう戻れないな…って本能で感じてしまって。画面越しの姿を見ても、脳みそが違うって言うというか。単刀直入に言えば、終わった直後なのにもう会いたいって思っちゃった自分がいた。底なし沼を見た瞬間。

 

仮にいつか踏み留まることができなくて、依存にも近い好きを抱いてしまう日が来たとしても、素直に彼らの幸せを願えるファンでい続けたいと思ってる。

アイドルのイメージなんて、所詮ファンのフィルターに越しに持たれるようなものなんだから、ファンの小さい世界に惑わされて、変な偏見を持つようなことはしたくないなって。彼らの成功を素直に喜んで、彼らのことを信じて、彼らの幸せを願える人でいたい。

 

どんなに拗らせた気持ちを持ったとしても、結局はそういうスタンスのオタクが勝つんです。きっと。ハッピーオタクライフの鍵はそこにあると思うよ。

都合よく盲目であれ。