オタクに永遠なんぞないなんてことは常に念頭に置いてあるけど、それでも、私たちが見える範囲や知っている部分だけで全てを知った気になってはいけないこと、私たちが信じている絶対は、信じていたいことだけをかき集めてできた実態のないものであること、
なにより、
私たちが見ているステージ上に立つ彼らは、自分の理想や概念で形取られた 虚像を纏った生身の人間である
ということを、3次元を推す身として忘れてはいけないのだと再度思った。
いつ何が起こるかわからないからと言って、覚悟して推す必要はないと私も思うけど、じゃあそういう時悲しみに対して何が些細な武器になってくれるかというと、やっぱり自分の中にある思い出だけ。これしか縋るものはないわけで。会える時にたくさん会っておく、これしかないんだよきっと。周りから見たら何をそんなに必死になってるんだか、って理解されないかもしれないけど、もっと見ておけば・会っておけば良かったっていう取り戻せない後悔をしなくて済むのは、これに尽きると私は思ってる。だから推せるうちに推せって言葉がある。
せくしーたちが強い意志を持って"5人"という数字を守り続けてくれている事実が、どれほど尊いことなのか思い知った。そうちゃんが帰ってきてくれたことが、祈りが形になったあの日、どれだけの希望になってくれたのか改めて痛感した。
見せてくれる面だけが全てじゃない、絶対なんて、永遠なんて存在しない、わかっていても、もらった愛が積もるたびに信じていい理由が増えた気がして、祈りに変わってしまう。
だけど貰ったものの大きさや、ぶつけてくれる気持ちで測っちゃいけない。
難しいな。何も信じられなくなりそう。でもオタクと推しの距離感って絶対がないから、信じること・祈ることしかできない。だけど信じすぎるのはやっぱり怖い。ずっとこの堂々巡り。
私たちが思う永遠はすべて勘違い。勘違いだとわかっていながら信じていないとだめなんだと思う。ああ、『「さよなら」その日まで「いつまでも」遊びましょう』ってきっとこういう感覚なんだろうな。今更なってわかるのが憎いや。
風磨くんが話していた、「5人でいられるように祈っていてください」という言葉をずっと思い出してた。一人でずっとずっと反芻しては解釈していたこの言葉、解釈していたのが馬鹿みたいだと思った。外からの圧力なのか内からの圧力なのかは分からないけど、多様性を認め合うのが一番とされている今、自分一人の意思だけではどうにもならないことなんて、祈るしかないじゃん。意味なんていらなくてこの言葉のままだよ。
何があっても5人で10年間走り続けてきたせくしーたちが、何度考えても奇跡としか言いようがない。
多くは望まないからずっとずっとみんなで笑っていてほしいよ。ずっとずっとアイドルでいて。ずっとずっと、ジャニーズを愛している風磨くんでいて。