ひとりごとの記録

主に音楽、アイドル、菊池風磨くんのオタクのひとりごと。

宝物のような

11月9日。もう少しで6年が経ちますね。

 

気持ちが大きく変わった1年でした。今まで何度も何度も変わってきたけど、この1年はいつか思い返した時に大事な節目となる気がしたから、ちゃんと読み返せるように書いておかなきゃなと思って。

 

回りくどい書き方は出来るだけ避けて書けますように。

 

 

単刀直入に、ドロスを好きになってからの6年間、好きという気持ちはずっと変わらないと思ってきました。波はあっても、1番好きだという気持ちとかける熱量は絶対にこれからも変わらないと思ってきた。新しく誰かを好きになってもきっとドロスを超える人は現れないだろうし、ドロスほど影響を受ける人も、そもそも誰かを新しくちゃんと好きになることも、もうないようなそんな気がしてた。

実際にずっとそうだったから。新しく好きになってもドロスと比べてしまうし、「ま、私には天下のドロスがいるからな」という気持ちで見てしまっていた。そうやって結局いつもいつも、揺るがない1番はこの人たちだったから。

 

でもそれが初めて大きく揺らいだのがこの1年でした。

 

始まりは単純で、二宮くんを好きになったから。この好きになった時のくだりは何度も他のところで書いてきた気がするから割愛するとして、好きだと気づいた時まさかと思ったことは事実。

だってまさかここに来て新しい何かを好きになるとは思わなかったし、それがまさかバンドじゃなくてジャニーズだとは思いもしなかったし、まさかそんなに好きになってしまうとは思わなかった。

 

その「まさか」が続いて信じられない状態のまま、気づいたら私は二宮くんを好きになっていて、自動的にドロスからは遠ざかっていく日々でした。

薄れていくドロスへの気持ちに気づいた時、まさかの次に今度はやばいと思った。ドロスを好きじゃなくなってしまう、直感でそう思った。そしてそれだけはやめたいともう1人の自分が言ってた。

 

今思えば多分、怖かったんだと思う。何年も何年もドロスが1番だって言い続けてきて信じてきたのに、それがここにきて新しく好きになった人が現れたからってそっちに流されてしまうことが、まるでドロスへの気持ちはその程度だったっていうことを体現しているようで、怖かったんだと思う。

ああ今書いていてすっきりした。きっとそういうことだったんだろうな。

 

からしばらくは二宮くんを好きでいる気持ちは見えないフリをしていました。それが去年の12月くらいまでかな。とりあえずドロスの九州ツアーや年末のフェスがひと段落するまではまだ待っていてくれと、初めて自分の好きを封じ込めた時だった。

そうして少しずつブレーキを緩め始めたのが年が明けたくらいから。九州ツアーも1月11日の熊本を最後に落ち着いて、ちょっとしばらくはドロスへの気持ちはおやすみかなと、個人的に軽い一区切りをつけようとした時。

 

サトヤスの勇退が決まりました。

 

これも前に詳しく書いたことがあるから割愛するけど、多分これが、今日までに気持ちが大きく変わった決定的な出来事だったと思う。言葉を選ばず言ってしまえば、私はこれを機にドロスに対するいろんな気持ちが崩れていったんだと思う。そんな気がする。

受け入れられなくて、聴けなくなって、見れなくなって、避けるようになって、二宮くんを好きな気持ちをここで全開にした。好きな気持ちに嘘はないけど、都合よくあった自分の好きを利用して逃げた。

そうしているうちにいつの間にか置いていかれて、冷静になって離れていった自分の気持ちを見るようになって、

 

ああもう終わりかもなって思うようになった。

 

それに気づいたのが3月くらいかなあ。ものすごく悲しかった。二宮くんを好きになった時みたいに嫌だって思ったから、どうかわずかに残った好きという気持ちを離さないでくれって自分に言い聞かせてた。

終わりかもなって思っておきながら、心の片隅ではそんなわけないって信じていなかったし、そうやって急に現れた終わりというものに自分自身がびっくりしてた。なんか言い方良くないけど、二宮くんを好きになっただけでこんなにも気持ちが変わってしまうことが悲しかったというか、悔しかったというか。

 

だけど、二宮くんに対する好きという気持ちに揺らぎがなくなって落ち着いたのもちょうどこの頃からで、そうやって帳尻が少しずつ合わせられていたのかなと、今だから思う。

 

5月、6月と、今なら離れられる気がするなあなんて考える頻度が増えるようになって、でも逆に何がそんなに留まらせてるのかもよくわからなかった。

別に「降ります!」って宣言して担降りするわけでもないし、何か決定的な出来事があって突然嫌いになるわけでもない。気持ち以外何も変わらないはずなんだけど、その気持ちがもう前には戻らないことをわかっていたから、それを受け入れたくないだけだったのかもしれない。

 

一番でいて欲しかったんだろうな。

変わらないでいたかった。

 

嫌いになるわけじゃないんだよ、でも6年間ずっと大好きだったから。その気持ちに突然終わりが来たことが寂しかったんだろうな。

 

 

そうして、気持ちがはっきりしたのが、7月。

 

二宮くん関連でたまたまTwitterで見つけた、ある人の言葉がきっかけだった。

リア恋としての「すき」から、憧れとしての「すき」へと昇華できた

という言葉。全然知らない人なのに、これ見た瞬間涙が出たのを覚えてる。

 

正直読み返してみても特に目新しい言葉でもないし、多分私の中にも前から存在した感覚。セカオワに対する好きが変わった時に経験したことある気持ちだった。

だからきっと頭の中ではずっとわかってた。このドロスに対する好きも、いつかのセカオワの時と同じなんだって。でもなんでだろうな、不思議なもので、わかっていても第三者から言われることで改めて気づかされる時がある。

 

私の中でドロスに対する全てが救われた瞬間でした。

同時に、長い長い6年間の「好き」にちゃんと終わりがきた瞬間でもありました。

 

 

6年前の2014年、好きになった時からこの2020年まで。馬鹿みたいに好きで、苦しくて、辛くて、でも幸せで。夢ができて、尊敬する人もできて、それに導かれるようにここまできた6年間だった。振り返る季節のひとつひとつにドロスがいて、写真のアルバムのようにドロスの曲たちに私の記憶が詰め込まれてる。

 

近づきすぎて見えなくなっていたけど、少し離れて自分の気持ちをやっと客観的に見れるようになった時。今までの自分がどれだけ好きだったかを思い知らされて、切なくなった。リア恋ではなかったけど、自分のこと以上に大切に思って健気に大好きだったこと、そんな日々と過去の自分を抱きしめてあげたくなった。

 

そして今になって[Alexandros]というバンドが与えてくれたものの大きさに気づかされて、頭が上がらない。

生きていく上で大切にしなきゃいけないこと、守らなきゃいけないもの、手放しちゃいけないもの。

それらを教えてくれたのは彼らだったんだと。私を作り上げてくれたのは彼らだったんだと。

 

私はずっと、気持ちが変わったら好きという気持ちも同時に消えてしまうと思ってたから、怖かった。だけどそうじゃないってもうちゃんとわかってるから、今は吹っ切れた気持ちでいる。

今でもたまに考えて、少し悲しく切なくなったりはする。まだ信じられないんだよね。思いがけない人の登場によって始まって、色々なことが必然かのように絡み合って生まれた答えだから。

でもこれさえもいつかは、起こるべくして起きたことなんだって思えるようになると思う。今までの私的にそんな気がする。過去があっての今だと思えるようになること、自分が一番よく知ってるよ。

 

 

これをどうしてもこの11月9日を迎えるまでに書きたかった。

 

6年かあ、あっという間だね。

 

私が育てた!なんて傲慢なことは思えないけど、でも大きくなったなぁって思うよ。

 

 

大好きだった4人は3人になりました

 

でも変わらないこと。

 

何があっても[Alexandros]というバンドが続いているということ。

私が[Alexandros]を好きでいること。

 

 

6年間、ずっと一番でい続けてくれてありがとう。

あの時好きになったバンドが[Alexandros]で本当に、本当に良かった。

 

私にとっての宝物のような人たち。

気持ちが変わっても、これからもずっと。

 

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