ひとりごとの記録

主に音楽、アイドル、菊池風磨くんのオタクのひとりごと。

写真が持つ意味

映画「浅田家!」の最後にはこんな言葉が二宮くんの語りによって流れます。

 

人が失ったものを補えるのはきっと記憶だけで、

その記憶を確かなものにしてくれるのが写真。

思い出を残すだけでなく、

時にはその写真が

今を生きるための力にもなるんだと。

 

この映画を3回見た私ですが、毎回この言葉が印象的で、同時に毎回〝写真が持つ意味〟というものを考えさせられました。

 

それは自分もどこか共感できるところがあったから。

 

 

私は自分のための記録や記憶は、ほとんど言葉によって残します。写真で何か思いを残してきたということはあまりなく、そこに意味を考えながらシャッターを切ったこともほとんどありません。

でもスマホの写真ではなく、写ルンですを現像した写真を見たときは、どこか特別な気持ちになるんです。もう戻れない一瞬を閉じ込めたような、そんな感覚になる。だから不思議と写ルンですのシャッターを切るときは〝今を閉じ込める〟ような気持ちになります。取り直しの効かないフィルム特有の感覚でもあるかもしれないけど。

 

 

7月頃、今年の1月から撮り始めてやっと使い切った写ルンですを現像しました。半年もかけて取り切るなんてもはや記憶のタイムカプセルみたいなものです。そしてそのうちの1枚にあった写真。

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(汚くてすみません。私の部屋です)

切なくて、懐かしくて、悲しいけど、どこか温かくて。

この日の気持ちが一気に蘇ってきて、あの時シャッターを切っておいて良かったと心の底から思った瞬間でした。

 

この写真を撮ったのは1月24日。サトヤスが[Alexandros]から勇退すると発表があった日。

とにかく悲しくて悲しくて、信じられない気持ちと受け入れられない気持ちがたくさん渦巻いていて、思わず手に取ってしまった雑誌を机の上に置いた時、フッと毎日見てるこの景色が目に入りました。

ずっと飾りっぱなしだったポストカードたち。意識をしなくてもこうやって普段からドロスが身近にいたんだと視覚的に改めて気づいた時、

 

撮らなきゃ

 

と何故か思ったんです。撮るなら今だ、と。毎日見てるものでも今日撮ることに意味があるんだ、と瞬間的に思いました。

何かを写しておきたくて撮った感覚ではなくて、言うならば自分の〝気持ち〟を残しておきたくて撮った写真でした。1月24日に撮ったということに何よりの意味がある、写真。

 

 

別に私はこの写真がどれだけ特別であるかとか、この写真に対する思いや意味を伝えたいとか、そういうことじゃなくて、なにが言いたいかというと、

 

周りからしたらなんてことのない写真でも、誰かにとってはものすごく意味や価値のある写真

 

そういうものが世の中には絶対あって、そういった写真こそがきっと冒頭の文章のような力を持つ。

 

私は自分が撮った写真を通してそう思いました。

 

 

自分にしかわからない価値や、それでいいんだという周りに干渉されない力を持つもの。

それが私なりに思う写真が持つ意味です。