私は二宮くんのどういうところが好きなのか、というかそもそも二宮くんとはどんな人なのか。
好きになってから幾度となく考えてきたテーマ。
どうしてそんな初歩的な問いかけを今でもまだ考え続けてしまうのか。その答えは簡単で、それくらい二宮和也という人間がどこまでも掴めない人間性で、底知れぬ魅力を持った人物だから。
自分が想像していた枠に収まらない人だからこそ、いつも思いがけない角度から物事を見て話す人だからこそ、自分なりに考察する二宮くんというものが無限にあって、
二宮くんオタクみんなそれぞれが""二宮くんってこういう人だよね""っていう共通解釈を持っているんだけど、同時にみんな思っているのは""それが絶対ではない""ということで。
つまるところ、
本当の二宮くんというのは誰も知らないしわからないし(これを自分が話し始めると"芸能人とプライベート"という終わりのない話に発展するのでやめます)、これから先もきっと完璧に知ることは出来ないんだけど、
ある意味こうやって二宮くんがどんな人間なのか掴めないところを魅力に思って、それを楽しんで好きでいるのが私なりに思う二宮担、なんだろうなと思ったり。
話逸れまくりで自分でも何書いてるのかよくわからないけど、今回のVoyageを見てもやはり同じことを思ったんです。
待ちに待ちに待ちまくった、満を持してのNINO's Diary。
これを見れば何かがわかるかな…なんて思ったりしてたけど、見終わった後に思ったことは結局冒頭と同じことでした。
でもなんて言うか、どういうところが好きなのかよくわからないんだけど、こうやって彼の内面に触れることで見えてくるものがあるというか。
いつまでも推しを好きな理由を考え続けて、自分が魅力だと思う部分を通して推しがどんな人間性なのかを考え続けて、そうやって考え続けることを楽しんでいる変なオタク、というのも私だけな気がするし、自分特有のものなのかもしれないとは思うんだけど、それはきっと、
ずっとバンドしか好きじゃなかった自分がどうしてある日突然アイドルである二宮くんを好きになってしまったのか。
一体そこにどんな共通点があって好きになったのか。私の中の何が好きだと感覚で思ったのか。
根っこにその"永遠に答えの出ない疑問"があるから、ずっと考え続けてしまうんだろうなって。
このNINO's Diary、30分あるうちの20分が楽曲制作のことだった。"二宮くんと言ったら"で連想される芝居のことでもなく、他のメンバーみたいに誰か別の人を呼んで一緒に話すわけでもない。ただひたすらに、自分が作った曲のことを話してくれるんです。
私はバンドから音楽を好きになってる人だから、どうしても自分で曲を作って自分で演奏して歌っている人のことを好きになりがちで。
だから二宮くんが自分のソロ曲を自分で作ってると知った時、またソロ曲を自分で作っているのはメンバーの中で二宮くんだけだと知った時、そんな二宮くんが好きだと思ったと同時に、少し運命めいたものを感じたというか。
こういうことを知ってて好きになったわけでもなく、たまたま好きになった人がアイドルという別の畑にも関わらず自分で曲を作っている人だったのが、無意識にそういう人を選んでしまう性なのか、不思議な巡り合わせだなと思った。
だから私が個人的に特別に思っているソロ曲について、(きっと)二宮くん自ら選んでこうやって時間を割いて話をしてくれたことが嬉しかった。
アイドル活動を外しても、音楽が好きな人なんだってものすごく感じることができたから。
まさかあんなにデモ音源があるとは思わなくてびっくりした。10代の頃からギターを好きで始めたことも知ってたけど、その時からちゃんとデモ音源を残してあるとは思わなかった。
そして誰にも聴かれずとも形にならなくてもずっとデータとしてとってあることが、なんていうかいかに本人の一部であるかがわかるというか。見せるために取っておいてあるのならそれが理由になるけれど、そうじゃないのにずっと取ってある。見せないものこそ、取ってあることに価値を感じた。
誰のためでもなく思うままに曲を作っていた頃があってさ。形にならないのにずっと作り続けていたということは、つまり、作るということに自分なりの意味を見出していたから。だってそんなの好きじゃなかったらやらないでしょ。
音楽好きなんだな〜〜〜って感じて嬉しくなった。(2回目)
自分が好きなものや今まで作った曲を通してそれをツマミにお酒飲んでる姿を見て、まじで音楽好きなんだなって。(3回目) それしか言えないのかって感じだけど。
そうやってお酒飲んでる姿もそう、楽しそうに話してくれるところを見て、意欲だったりそういう熱量が内側に向いている感じが、クリエイティブな作り手としての一面を見ることができた気がして嬉しかった。
本業はアイドルだからさ、切り取られる一面はキラキラしてるでしょ。リハーサルとか歌撮りの裏側を見ることがあっても、それは私の中で指示されたことをやってるに入ってしまうから少し違う。
自分でソロ曲を作っていることを知っててもこうやってその内側を見たことがなかったし、ソロでもなくアイドルという枠組みの中でそれを行っている以上、見ることもできないかと思ってた。
語らないし見せびらかさない人間だけど、内面にきっとものすごい世界や思考が広がっていて、それを表現する手段を持っている。
歌詞や言葉ひとつ取ってもそう。
震災が起きた直後「何か動かなきゃいけないと思って」と言って起こした行動が、"曲を作る"という自分から生み出す方法であったことも。
作り手としての一面を自然な形でちゃんと持っていることが、そういう人間であることが、バンドマンが好きな私が二宮くんを好きになったのがわかるなあって強く思った。
どこにでもある唄。について、
「色んな人たちがその3.11と向き合うってなった時に色んな表現があったんだけど、歌って厳しいなって思って。でもなんか、歌じゃないと同時に厳しくて。」
「歌詞だけはなんか一向に出てこなくて。エナジーソングとかも、計画停電とかの最中に作ってたりとかするし。実際にこう、受けるものが多くって。」
涙目になりながら少し涙声で話してて、さ、そこから受け取ったものを広げて汲み取って自己解釈してみたときに、多分本当はすごいデリケートで感受性が豊かなんだろうなって思った。
話が少し逸れるけどテレビの二宮くんは人前で泣かないし、常に冷静で動じないことがほとんど。むしろそれとは逆で頭の回転が早いし、周りの状況をすぐ読んでそれに臨機応変に対応できる人。
だから飄々とした人っていう風に捉えられがちなんだけど、それはきっと自分の性格とうまく付き合う方法を見つけてきたからであり、自分のことよりも周りのことを優先して場を進める人だから、そういう面がトークとかであまり見えないだけで。
楽曲制作の話をしてる時も、嵐の話をしてる時も、笑ってるふりして目擦って涙拭くもんだから、見てるこっちはそれだけで胸が熱くなる。なんでそんな泣きそうな顔で笑うのって。
自分のことを言葉で伝えるわけじゃないけど、想いや形を通してその二宮くんの内を知る。二宮くんの好きなものを通して二宮くんを知るっていうのが、なんだかとても二宮くんらしいよね。
大切なものをずっと自分の中に宝物として取っておく人であり、"自分が大切だと思うものは自分だけがわかっていればそれでいいんだ"ということをちゃんとわかっている人なんだろうな。
繰り返しになってしまうけど、だから必要以上に語らない。だからその隙間からこぼれ落ちた想いっていうのはものすごい濃度が濃いものになってる。内側に熱いものを秘めた人。
ソロ曲の中でも私が一番好きな曲がこの"どこにでもある唄。"だったから、二宮くんがこの曲を難産だったって言ってたくさんデモ音源を聴かせてくれたのがとにかく嬉しかった。
こうやって二宮くんが作るものを見てしまうとさ。もっと見せてほしいって思ってしまうんだよね。アルバムのソロ曲という枠で止まってしまうのがもったいないって。彼を一人のアーティストとして知っていたら、なんて考えてしまう。
でもこの嵐というものがなかったらそもそも彼はこんなふうに曲を作っていないから。
もしかしたら曲は作ってたかもしれないけど、それをこうして私たちが知って受け取ることは、彼がアイドルでなかったら絶対にできなかったから。
そうやって考えると、絶対に交わらない線を望む感じがなんだかとても皮肉な願いだなあと思う。
「僕は嵐の二宮和也。」
そう言って、メンバーと一緒にいる嵐である二宮くんが映し出されるラストを見ると、余計に。
嵐があっての二宮くんで、彼のさまざまな創作物の根源は嵐にあるんだと思わされる。
どうしてか、全てを見終わった後にそのラストの語りと映像を見ると涙が止まらない。
アイドルとしての二宮くんも好きだし、作り手としての二宮くんも好き。わからないけど、そうやって二つを持ち合わせているところが好きな理由の一つ、なのかな。そして作り手二宮くんの、アイドルらしくないサブカルでオタッキーな部分も好きな理由。
結局わからないんだけどさ。
二宮くんは嵐があっての二宮くんなんだって。
それはすごくよくわかる。
私は二宮くんだけのオタクだけど、二宮くんが好きなものは私も好きだよ。
宝物を見せてくれてありがとう。
Voyage #19 NINO's Diaryを見て