ひとりごとの記録

主に音楽、アイドル、菊池風磨くんのオタクのひとりごと。

アイドルは虚像である、という持論

いくつものペルソナを着脱し続ける松村は、軽やかに「実像」を飛び越えていく。まるで本当の自分を煙に巻くように。彼が誰なのかがわからないということは、「虚像」を纏う俳優(ある意味、アイドルも同様だが)にとっては理想的な状態とも言える。

 

今月号のCUTでライターさんが書いてくれた紹介文の一部です。

 

アイドルも虚像を纏った存在である。本当にその通りだと思います。改めて、3次元のアイドルという生身の人間でありながら、実態のない儚い存在であることについて考えてしまいました。論文か?みたいなタイトルすぎる。

 

私はずっとアイドルは虚像であると思い続けていて、それがアイドルを好きな理由でもあります。

だから掴みどころのないアイドルが好きだし、自分自身をアイドルと自覚しているアイドルが好きだし、その上でアイドルを"演じている"アイドルが好きです。

主に二宮くんと北斗くんのことなんですけれども。

 

天性のアイドルよりも、アイドルでいることを選択し続けてきたアイドルの方が魅力を感じてしまいます。昨今のアイドルが結成までに至るプロセスからして、今の時代背景にはあまり見なくなったタイプかもしれません。今のアイドルは選ぶことを許される時代になった。

だからこそ、本人の意思で選び続けたからこそある今に、ものすごく刹那的な美しさを覚えてしまう。

 

息をして、血が流れて、絶対に生きている存在なのに、私たちは彼らの実態を掴むことができない。同時に彼らも、彼らだけの呼吸では壇上の存在にはなれない。私たちの信仰にも近い彼らへの眼差しがあって、それらが交わった瞬間にアイドルとしての光が生まれる。

私たちの中にある数々の理想、解釈、願い、そういったものが彼らのアイドルを形作っている。言葉にしがたい実像のないもので、彼らは存在している。

 

だから虚像だと思っています。それでいいと思っているし、越えることのできない一定の距離がアイドルを好きでいる醍醐味だと思っています。その距離感が"虚像"ということだし、私たちの理想を当てはめることができる。夢を見ることができる距離感。

だってリアコリアコだ騒いでおきながら、実際に本当のリアルが見えた途端、みんな喚くでしょう。

 

 

今年の2月に放送されたSixTONESRIDE ON TIMEで北斗くんが

 

「その人たち(ファン)が作り上げたハッタリだと思っています。俺らは」

 

と言っていたのがものすごく印象的でした。私が考えるアイドルへの解釈と、推しから提供されたアイドルの解釈が綺麗に一致して、思わずドキッとしたくらいです。北斗くんは自分のことを虚像だと自覚しているアイドルだ、と思いました。だからこそアイドルを演じることができる。

 

本人がそういう自覚をしているから、北斗くんには何者かがわからない、掴みどころのない雰囲気を感じる。どんなものにもなれるし何色にも染まることができる。

そんな彼が、アイドルという一つの虚像を纏う瞬間がたまらなく好き。魔法にかかったかのように"アイドルに成る"、あの瞬間。

何かのインタビューで「ライブ中一番わからないのは北斗だよね、憑依してるみたい。曲によって演じている感覚なのかな。」ってメンバーが話していたけど、これも"虚像を纏う"に繋がると思います。

 

見えない余白を自分なりに解釈して知りたいと思うのが好きで、だからわからないアイドルを好きになってしまうのだと思います。きっと。

 

 

芝居において、役者としての自分の在り方を模索中の北斗くん。また自分が何者なのかを自分でも探している北斗くん。リアルタイムで悩み、葛藤し、一つづつ正解を見つけて進んでいく、そんなアイドルを好きになれることって本当に貴重。そういう姿を一緒に追えていることに感謝しなきゃなぁと、改めて感じました。これはアイドルの話とは離れてしまうけど、CUTを始めとするお芝居ついてのインタビューを読んで毎回思っていたことです。

 

 

 

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それにしても、この憂いを含んだ瞳、最高すぎませんか?

 

光のない目に射抜かれる感覚。知った気になっているだけで誰も本当の彼を知らない。けど、誰も知ることはできない。彼が静かに心の奥で燃やしている闘志が、少しだけこの瞳から垣間見れる感じ。

 

こうやって、わかりそうでわからない彼の実像を追い求めては彼の渦に飲み込まれて、北斗くんを好きでいることをやめられないんだろうな。