ひとりごとの記録

主に音楽、アイドル、菊池風磨くんのオタクのひとりごと。

命をかけるようにオタクをするということ

推し、燃ゆを読んで思った私なりのオタクについて

 

数年前、推しに対しての気持ちが「重すぎるよ」と言われたことがあった。

 

自分のことのように喜んで、悲しんで、泣いて、自分のことのように推しが生活の主体になる。推しのために働く。推しのために時間を割く。全ては推しのために回っている。これは全オタクにとっての共通項目。もはや推しのために自分の生活水準を下げることだってある。

 

 

中学1年の冬に音楽を好きになってからずっと、音楽だけが私の全てだった。推しを好きでいることで自分自身を肯定することができた。推しを好きになった自分が、初めて自分自身になれた瞬間だったと言っても過言ではないと思う。

 

何もない私に全てを与えてくれたのが、推しだった。何者でもない私を強くさせてくれたのが推しだった。

 

推しを好きでいる自分だけは何かになれた気がして、結局は追いかけてるだけでしかないのに私はそれを自分自身から生まれた力だと勘違いして、夢を見た。その夢で進路も決めた。

 

 

 

人生で初めてライブに行きたいと思った中1の終わり。親に高校生になるまでは行かせられないと許してもらえず、自分の部屋で泣きながら紙に悔しかった気持ちを書いた。それをぐしゃぐしゃにして丸めて投げ捨てて、自分で拾って広げて引き出しにしまった。今でもその紙は記念として取っておいてある。

その日からライブ音源の歓声を聴くことが苦手になったし、とにかく早く高校生になりたいと思う日々が始まった。

 

中3の12月。大好きなバンドが地元で初めてライブをやることが決まった。地元なら中学生でも行っていいという許可が下りていたはずなのに、今度は受験生だからという理由で行かせてもらえなかった。この時も死ぬほど泣いた。この日のことを私は4年近く呪うように引きずった。

 

同じく中3の1月。別の好きなバンドがスキャンダルで話題になった。多分、この出来事を境に私は必要以上にメディアを嫌うようになった。どんな事実よりも、それを餌にして騒ぐ奴らが許せなかった。表面だけ掬い取って、知ったように話す奴らを見て悲しかった。でも結局、この出来事を1番気にしていたのは実は私自身で、2年後くらいに静かに離れた。

 

高校生になってから、私はろくにバイトもしないくせにお小遣いをはたきまくってとにかくライブに行った。バイトをしていなかったというのもあったからか、お金の使い道はまずライブだった。その次にCD。友達と遊ぶことは申し訳ないがその次だった。ライブに行けない方が死活問題。

笑えないレベルでお金がないのにチケットを申し込んで、何度も親にお金を借りた。

 

高校生の私は、中学生の頃行けなかった時間を取り戻すように必死だったと思う。この頃の日記を読み返してみると、幾度となく「会いたいのに会えなかった頃に比べたら幸せだ」と書いていた。

お金も時間もあるのに行かせてもらえなかった中学生の頃があるから、お金がないという理由だけで行かないことがくだらなかった。会いに行けないまま逃してしまう「瞬間」の残酷さをよく知っていたから、会いたいと思った自分の気持ちだけを優先していた。

 

だから1人でもどこまででも行った。「推しに会う」それが出来るなら1人だろうがなんだろうが、他はどうでもよかったんだと思う。

最初は1人でどこまでも行ってしまうことを渋っていた母親も、途中から何も言わなくなった。今しかないという言葉が私を突き動かすかのように、日本全国いろんな場所へ行った。

 

 

時は進んで2019年の秋。専門1年目。

初めてアイドルと呼ばれる人を好きになった。それも超が付くほどの国民的。これがとにかく衝撃的だった。数年ぶりとも言われる久しさで、私の中がめちゃくちゃにされて、電流が流れたことを覚えている。秋なのに、ひとり春の訪れだった。

そしてそんな新しく静かに仲間入りした推しが、好きになって早々に結婚された。好きになった事自体も私はまだ自分に戸惑っているというのに、訳の分からないままその騒ぎの中に放り込まれていった。自分の気持ちを支えてくれるほど、推しを好きでいた時間もないままもみくちゃにされたので、見えない何かと一人でずっと戦っていたような数ヵ月間だった。

 

2020年1月。私の全てと言っても過言ではないバンドのメンバーが抜けることが発表された。

病気だったから、正直なんとなく予想はついてた。でもやっぱり受け止められなくて、お昼に学校で知った私はそれから上の空だった。午後の授業中、何度も泣きそうになるのを堪えたことを覚えてる。家に帰ってから真っ先に泣いた。家に帰るまで泣かなかったの、偉い。目が腫れるのが嫌でお風呂で声を殺しながらひたすら泣いた。でも結局布団の中でも泣いた。

この日をきっかけに、私の中のそのバンドは止まってしまった。4人が3人になったことを受け入れられなくて、そこで私にとってのそのバンドは終わりを迎えた。受け入れたくない現実から目を逸らしていくうちに、気持ちが離れてもう戻らないことを察した。終わるんだって。

新しい何かを好きになっても、どんなものも敵うものはいなかった。全ての優先順位の頂点には常にこのバンドがいた。そんなふうに中学生の頃から全てを捧げてきた青春が、今ここで終わるんだと思った。恋をするように大好きだった、今でも心の奥にいる大切な人たちの話。

 

 

読んでいて、今までの自分のオタク人生をブワワーっと思い出したのでとりあえず書き起こしてみた。

推しという船に乗りながら、突然やってくる荒波を乗り越えてきたような感覚。その度に強くなるから、正直やっぱり歴の長いオタクの芯が強いのは本当だと思う。

 

趣味なんだけど、趣味というには薄っぺらくて、でも生半可な気持ちでやっているわけでない。仕事でも何でもないのに、オタクはポリシーを持ってオタクをやっている。オタクそれぞれにモットーがある。

私は芯のある強いオタクになりたい。その場その場の情報で惑わされない、事実を知るまで推しのことを信じることができるオタクになりたい。

 

 

結局、推しというのはただの偶像に過ぎなくて。

歌を通して、お芝居を通して、インタビューを通して、推しのことを知ったとしても、それはあくまで「情報」を受け取っているだけ。そしてオタクはその情報を、そのオタクなりの解釈で噛み砕いて自分に取り込んでいくんです。きっと。

だからオタクそれぞれで推しに対する解釈というのは微妙に違くて、自分の解釈というフィルターをかけて推しを見ている

言葉だけ取るとかなり残酷だけど、私はそれこそが推しでありオタクの醍醐味だと思っています。対象物が、その理想を当てはめる推しと言う名の偶像だから許される。

その自分なりの解釈をして推しを知っていくことが私はたまらなく好きだし、同じ推しを推している以上、その解釈が他のオタクと一致することもあるから面白い。

 

だからこうやっていろんな場所に言葉の溜め場を用意している。自分が推しを通してどう思ったか、推しに対してどう思ったか、そういう自分の気持ちの記録を残しておくために。

話に出てくる主人公もどこか似たようなところがあって、思わず付箋を貼りました。

iPhoneのメモ、ここはてなブログTumblrTwitterのひとりごとアカウント、インスタと、気持ちと言葉の種類で無意識に場所を分けてる。

誰かに読んでもらうところもあれば、完全に名前を変えてるものもある。そこで出会った人たちとのコミュニティがあって、そこにしかいない自分がいる。私が書くライブの感想が好きだと言ってもらえたことがあった。私の重いと言われる好きを受け止めてくれる人がそこにはいた。Tumblrでお互いが書く言葉だけで繋がっていた子のことを思い出した。

不器用なはずなのにそこは上手いバランスで成り立っているらしいです。

 

自分から推しを奪ったら、今までの自分ごと消えてしまうのではないかと言うくらい、自分の人生だとも言える推しを、そして私はこれからも自分自身を肯定するためにも、生きるためにオタクをしていこうと思います。

いつだって今しかないその一瞬の煌めきに、いつまでも心惹かれていたいのです。