ひとりごとの記録

主に音楽、アイドル、菊池風磨くんのオタクのひとりごと。

「知っている」と「知らない」について

15歳の眩しさに打ちのめされそうになりました。

 

 

高校受験を控えている私の妹。

 

土地勘も、電車の乗り換えの知識も、まだまだ。

この駅にはこんなお店がある、あんなお店もある、ということもまだよく知らない。

 

たったそれだけだけど、一つ一つを調べたり行ったりして少しずつ覚えていく。そしてその度に毎回少しの喜びがある。

 

放課後に遊べること、電車に乗ってどこでも行けるようになること。もう当たり前になってしまったことが、新鮮で嬉しいと感じることができる。

 

年齢とともに許されることが増えていって、同時に知っていくことが増えていく。そうして見える世界が広がっていく。

手に入れることができた"自由"を存分に使って、利用して、どんどん外の世界に出ていけばいい。

 

 

何かひとつの1をどんどん極めていくことも面白いけど、0が1になる瞬間の輝きほど尊いものはないんだなと思った。

時に「無知は罪だ」と言いますが、「知らない」ということをこんなにも羨ましく思ったのは久しぶりでした。

 

 

 

「知る」「知らない」は突き進めていくと奥が深くて。

世の中の全ての事象にまとわりついてくる話だと思います。

 

まあ当たり前だけど、知ってれば知っているほど良しとされるものもあれば、『知らぬが花』と言われるように知らないままの方が良いことも多くあって。

 

どこまでを知るべきで、どこからは知らなくてもいいのか。

 

オタク内でのこの線引きが人それぞれで、それゆえ傷ついたり傷つけたり、をよく見かけます。

 

私たち自身でもそのさじ加減を調節することはできるけど、相手側が"見せる面""見せない面"、つまり私たちが"知ることができる面""知ることができない面"を、意識して調節してる人も多くいるんじゃないかな、なんて考えたりします。

それによって、私たちが踏み込んでいい範囲も変わってくるというか。

 

…うまく言えてるのでしょうか。

 

例えば、相手が努力する姿をあまり見せたくないという人だとしたら、完成するまでの過程をこちらが推測したり覗き見したり、過度に心配したりするのはちょっと違うじゃないですか。

でも逆で、そういう姿も含めてありのままを全て知ってほしい、という人もいるわけで。

 

こういうとき2人に同じ捉え方でいく、ということはできないわけです。あくまでも私の考えですが。

 

 

なーんかちょっと堅苦しくなりすぎましたね。

 

後半の線引きの話は、二宮くんとか風磨くんをそれぞれ見ていて感じたことです。自分の推しはどういう感じかなあ…と考えてみるのも面白いですよ。

 

 

そういえば風磨くん、この前のテレビで「知っていることをお見せして、美しいことがあんまりない」「知らない美学がある」と話していたことを思い出しました。

単刀直入に言ってしまえば、""知識でマウント取る男はダサい""ということです。こりゃモテますわ。さすが爆モテリアコ王子ですわ。

 

もう一つそういえば、という話をすると、私が好きな事務所『UK.PROJECT』のUKは、"UnKnown=知られざる者"を見つける事務所、という意味だったことも思い出しました。

 

 

知っていることが多い方が面白いのも本当だけど、知らないことがたくさんある方が面白い場合もあるのかもしれない、ね。